霧島部活辞めるってよ

不登校ではなく退部なのか。
成る程、部活を辞めるに焦点当てた方がアクティブでダイナミックになるな。
階級はどこにでもできる。
階級関係で毎日無意識に誰もが動いているはず。
ここでは、中心人物霧島の不在確認から、自分の存在意義へ自ら視線を不可避的に向けられてゆく人々の心象の揺れと、自分なりの効力意識を見出して生き生き歩みだす人たちの姿が対比的に描かれてゆく。
霧島、菊池とつるむ2人、男子バレー部の主将と霧島の彼女の梨紗とその友人3人の女子が学校の最上位のヒエラルキーにおり、ブラバンの女子部長や野球部主将は彼らより低いヒエラルキーに属し、映画部は全員、最下層にいる。
ブラバン部長と映画部の前田部長はかろうじて交渉可能な関係にあるが、その上の連中は、前田以下映画部などヒトとも思っていない。
そのなかでの自分の存在意義みたいなものを時折確認しながら生きてゆく。
下で虐げられている者程それには自覚的だ。
「ここはおれたちの世界なのだ。」「おれたちはこの世界で生きていかなくてはならないのだ。」と自主制作映画のせりふにも入れている。
(しかし、部活辞めるくらいで、これだけの人に影響を与え動揺させてしまう人も凄いものだ)。
霧島を放課後バスケをしながら待っていた3人が霧島が部活を辞め登校もせず、待つ必要がないことに気づいた時のあの空虚感はよかった。
一瞬足場を失うような軽い異化作用を感じる。
あんな場所に出くわすことが自分にもあった。
具体的に思い出せないが、確かにある。
大概、そこは白昼夢のような廃墟だ。
妙に晴れやかな。
霧島と帰るのをなんとなく楽しみに待っていたし、その間の気心の知れた友達とのバスケも結構はまっていた。
もう習慣ともなっていた。
しかしその行為そのものから理由-動機が抜けてしまい我に帰る瞬間。
そんな時を何度か経験しつつ、自己の存在にその都度対峙してゆくようになる。
あの格好良く運動ができてモテる菊池が何故、前田の向けるカメラレンズに対して涙を浮かべたのか。
それは前田の自分の身の丈を自覚した上で、やるべきことを見出しひたすら取り組んでいる彼の視線に晒され、いまの自分をはっきり対象化してしまったからだ。(以前なら格好つけてカメラに収まったであろう)。
自分はこれといって何をしたいかも模索せず、好きかどうかも解らぬ女子にも振り回されている。
下に見ていた野球部主将のただ無欲に自分の定めた道を全うする姿にも改めて接し動揺する。
もう寄る辺なく、すがるように霧島に電話をする。
自分に対する最終確認の電話である。もう自分に向き合うしかない。
すでに上位陣は全てそうせざる負えないところに追い込まれてゆく。
霧島の部活退部という噂でコケる上位陣とそれに対比して部活に迷わず突き進む下の階層が逆転現象を起こす。
前田とブラバン部長は共に失恋しながらも、(そのおかげで)スッキリと前を向き自分の道(部活)を歩んでいる。
ブラバン部長は菊池を諦めて踏ん切りを付け、前田は顧問に逆らい自分の脚本で好きなように映画を撮る決心(更に失恋がダメ押しとなったこと)により。
前田たちがオリジナル脚本にはっきり拘り出したのは、霧島の噂に呼応してもいる。
霧島が部活の何であるかを全体に際立たせているかのよう。
部活の場所って何だろうか。
ひとつに、自分にとって自分固有の何らかのイマジネーションが練り上げられる共同体だと想われる。
前田がすでに見出し、菊池がないことに自ら気づいたことは、それだ。
前田やブラバン部長や野球部主将の強みはそこだ。
これは誰にも侵食されない彼らの獲得した絶対的な価値だ。
ここで各部活(共同体)の質的な差も浮き彫りになってゆく。
霧島依存していた共同幻想(対・自己幻想も含む)は、どれもイメージの更新・再構成を迫られるということだ。
ただの何でも出来モテる優等生の突然の不登校では、このような動きは出せなかっただろう。
部活辞めるってよ、という部活(イマジネーション=価値を生成する共同体)からの脱退であり、しかもそれが噂(メタ情報)であって、霧島という存在を常に意識し、確認しようとするベクトルが維持される。
すでに霧島自体が電話等絶対にコミュニケーション不可能なメタ存在となっている。
ある意味、「ゴドー」である。
(何故か彼の彼女である梨沙や親友の菊池とかが、家にまでは行こうとしない)。
象徴的な中心=空の周りに目まぐるしく動き回る構造が出来る。
そして霧島が意識化させた部活という各共同体に変性が始まる。
面白い逆転も引き起こされる。
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