グリーン・マイルズ

これは題名そのままのようだ。
ひとまずその引っ掛かりはなしに観られる。
”グリーン・マイルズ”
牢獄から電気椅子の処刑室までの緑色のリノリウムの廊下を指すという。
(ここでは、誰もが歩む路という捉えだ)。
原作はスティーブン・キングだが、処刑した屍体が蘇って吠えまくるようなホラーではない。
ゴルゴダの丘に磔にされたイエスの生死を確かめるため脇腹を槍で突いたロンギヌスは、その血を浴びて盲目であった目が完治したという。
(恐らく槍が刺さるまでは生きていたのだろう。何故なら死体からは血飛沫は出ない。)
その奇跡に改心して彼は洗礼を受ける。
聖ロンギヌスとして後の世に教えを広めることになるのだが。
(槍は後にエヴァンゲリオンでも復活する)。
看守のポール(Tom Hanks)は、死刑囚コフィー(Michael Clarke Duncan)の最期に握った彼の掌を通し「愛を利用してヒトを殺すことが今も世界中で行われている」というメッセージを受け取る。
まさに普遍的な認識だ。
遍く権力が日夜それを実行している。
コフィーの奇跡の力でポールは尿路感染症を(所長の妻の脳腫瘍も)治してもらい、彼の力(生命力)も分け与えられる。
コフィの掌から伝えられた映像には、実際に双子の少女を惨殺したのがすぐ隣の檻にいる凶悪犯である事が伝えられていた。
ポールは既に決定された死刑囚の彼-神の子を冤罪と知りながら処刑する役目に悩み戸惑う。
神に最後の審判の時、何故神の子を殺したのかと尋ねられたら「職業だから」と答えるのか、と。
しかしコフィは由来の分からない得体の知れないちからをずっと持て余してきており、周囲の心の全てが流れ込んで来る苦痛に苛まれ、疲れ果てている。
(人々の治療にも多大なエネルギーを使うが、彼は病んでいる人を放ってはおけない)。
彼はそのまま刑の執行-死を望む。
彼には先天的に事象を制限して取り込む規制がない。
恐らく自然そのものが流れ込むこの作用が彼特有のちからを発現しているのだ。
その幼子のような危うい純粋さが周囲からは、知的な遅れに見える。
しかし認識においては自然な覚者-聖者となっている。
ポールは結局大変な長寿を授けられたが、彼はコフィーから得た「教え」をなんらかの形で生かしていたか。
ただ呑気に長生きしていたように映画では窺えるのだが。
愛に名を借りた殺戮に対し何らかの取り組みをしていたら、何年生きても足りないはず。
ここでは、イエスを殺した罪になぞるように、コフィーを殺したために永い寿命(長いグリーン・マイルズ)を歩まされる苦悩を与えられたという解釈をとっている。
このままいつまで孤独のうちに生き続けるのか、、、と。
しかし、同様に長生きさせられていたミスター・ジングルス(ネズミ)も60年ほど生きて、死ぬ。
ポールも死を望みながら、想い出のなかに埋没していく。
ただ、余生を罰としてのみ捉えて。
もう少し前向きに捉えたらどうか?
とも思う。(わたしが言うと説得力がないのだが)。
これがキリスト教的な限界だ。
これが日本人であれば、どうであろう。
余裕に任せて事業でもやって金儲けでもしているか?
やはり確かな実効意識がなければ、並外れた長生きには耐えられないであろう。
この映画も、キャストがよかった。完璧であった。
特にあの小憎らしいパーシー役は秀逸であった。
わたしは、コフィーに出会って、長生きしたい(笑。
(暇や孤独には充分耐えられるので)。
昨日は通院で更新できませんでした。
一日掛りとなるので、映画を観ているどころではありません。
これからも、たまにこういうことがあります。
宜しくお願いします。