娘の授業参観

うちは不可避的に二人で参加することになる。
わたしは、今回は次女のクラスに入った。しかし、授業の参観だけにし、懇談会はパス。
「ひらがな」授業であった。
ざわつくままに授業が始まった。
ほとんどの子は、先生の言うことは聞いている。
が、うちの娘を含め落ち着きがない子が少なくない。
「あ」から「お」までが頭につく「ことば」(単語)を前の席から後ろまで、横1列ずつ答えていくというもの。
「暗号」とか「隕石」や「威嚇」などがポンポン出てくるのには少し驚いた。
娘は「え」行で、「遠足」という極めて無難な答えを出していた。
先生もほとんど機械的に反応できるレヴェルだ。
一年生もかなりお話などが好きな子もいる。
いろいろ家で読んでいるんだろうな、と思う子もいるのだが、「威嚇」にはちょっとビックリ。
先生もそれには注釈を加えていた。
父兄の間からも、ちょっと抑えた笑いが出たのは、娘の前の列の時である。
最初の子が、「うんこ」と言った。
先生は冷静にはい「うんこ」ですね、と言いホワイトボードに板書した。
次の声と動きで終始目立つ女の子が、大きな声で「ウマのうんこ」と答える。
先生は「ウマでいいですね」と返すが、その娘は「ダメ、ウマのうんこ!」と大声で主張する。
結局、「ウマ」に落ち着くが、次のその娘とぴったりペアの男子がすかさず「ウシのうんこ!」と同様のテンションで続ける。
「もううんこは出てますから、ウシでいいですね」となだめるが、「ウシのうんこ」に暫く拘る。
うちの娘はそれを見てニコニコ顔で後ろのわたしの顔を窺う。
小一らしいと言えばそうだが、「うんこ」がちょっと人(親たち)の集まりで目立ってやろう、のささやかなキラーワードになった。
先生としては想定を逸してはいないが、よりによってこんな時にという状況であったように見て取れた。
まだ大変若い女性の先生である。
「う」なら、一番出やすい安直な発想である。
ひねりが無さ過ぎることを指摘しても良いはず。
もう少し考えさせたい。
それには、少しざわざわし過ぎている。
まず、指示はしっかり通したい。
そうしないと子供たちは安心できない。
子供の発言もしっかり子供たちに聴かせたい。
先生と発言者の対話になってしまっては、授業に広がらない。
少しばかり待っても、全員に指示を浸透させたい。
それで、子供たちが指示内容を確認でき、安心して考える時間が保てる。
指示が徹底しないと、不確かなメッセージに迷う子が不安定になり、クラス全体に波及し浮き足立ってざわついてしまう。
「お友達の発言を聴きましょう。」「口を閉じます。」
「○○さんは何と答えましたか?」
「後ろの席のお友達の話を聴くために後ろを向いてください。」(これは、椅子ごと向けないと無理である)。
この辺、ははっきりとしたメッセージを出し、全員がその体勢となるまで、次に行かないことが大切である。
どうしても人が見ていると、本日の学習内容は時間内に収めたい。
それでどんどん先に進めたくなる。
心情はよく分かるが、ざわつきながら一本調子で行くより、時に静かに注意を集中させる時間を僅かでも作ったほうが結局は子供の学習が深まるはず。
先生の指導内容や組立は実情に合っていたし、子供との距離感や人間関係も出来ていたように思えた。
笑顔も大変よい。
要はメリハリだと思う。
予定通り行かなくても焦らず、締めるところは締めるのが肝心であろう。
長い目で見てそうした方が、後が楽であるはずだ。
小さな怪獣を30人から抱えるのだからそりゃ、大変だ。
確か私たちが子供の頃は、40人いたっけ。
頑張ってください。としか言い様がない。
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