レナードの朝

”Awakenings”
文字通りその話だ。
ゾンビーズが出てきたのには、思わずニンマリしてしまった。
あの頃のことなのか。車を見てもそうだ。
わたしにとって、今観るべき映画なのかどうか。
そんな気持ちが少し引っかかった。
これまでもっていて、敢えて観ないでいた映画なのだ。
何故だか分からない。
まったくもって、静かで優しい映画である。
知らずのうちにこちらは完全に無防備な状態になっている。
それはきっと見事な演技のせいである。
役者というものの役割の貴さをこれほど実感させられたことはない。
原作者はオリバー・サックスという脳神経科医である。
確かにそこに興味はあるが、わたしに関係あるかといえばさほどない。
(ここのところ、ほとんど全て自分との関連の中で物事に接しているため)。
嗜眠性脳炎の患者に新薬であるLドーパを投与したことで、実際に彼らが一時的に長い眠りから覚めた話があまりに衝撃的である。
この驚くべき夏のエピソードがなければ、そもそも話にもならず、小説にも映画にもなってはいまい。
まるでおとぎの国の話のような実話だ。
おとぎの国の話のように再び彼らは、残酷に元の眠りへと引き戻される。
しかし、後に確かな信頼の念と愛情が残る。
それまでともに過ごした医師たちと物言わなくなった患者たちとの間に。
再度、生き直した彼らのひと時は、確かな価値-記憶として色濃く残り続けたはずだ。
勿論、彼らを取り巻く人全てに。
(小さな転生かも知れない)。
ロバート・デ・ニーロが病院の食堂で、心を寄せる彼女に身を切るように最後のお別れを言うシーンには、これまでにない込み上げるものがあった。
もう対等な人としては接し合うことができない。
握手をしてたち去ろうとする彼を抱き寄せ彼女はダンスを共にする。
そこには万感迫るものがあった。
そこでは痙攣は安らかに静まるのだ。
永遠を真に感じる。
その時だけは身体は魂と化しているのだ。
そういうものだ。
そういうものなのだ。
彼女がお父さんにではなく(だけでなく)、動かなくなった彼に、新聞の野球欄ではなく、多分リルケの詩を読み聴かせているところで、救われる。
すべてが誰もが救われる。
ロビン・ウイリアムスのDrがもはや親友と言って良いロバート・デ・ニーロや患者たちに徐々に深く接していく中で、彼の中に本来眠っていた愛情を発露させてゆく姿も美しい。
”Awakenings”
そうだ、これは久々に触れる、確かな光景であった。
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