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GOMA28

Author:GOMA28
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カッコウの巣の上で One Flew Over the Cuckoo's Nest

One Flew Over the Cuckoos Nest

マクマーフィーとラチェッド婦長を両極の象徴として描かれるこの世界-病院の構図において。
わたしは何処にいるのか?
恐らく今はマクマーフィーのようなトリックスターの触媒効果により、自分を不器用に語り始める患者の1人であろう。

患者-被支配層には次の人種がいる。
全く無自覚のうちに無意識に過ごしてゆく者たち。
半ば自ら選択して入り、出てゆく権利を保有しつつ文句を並べながらもそこに安住する者たち。
自分は何時でも出て行けるのにそこに留まり続け、周囲を活性化することを宿命とする者。
彼-トリックスターの力を自らのものにし、未知の領域に踏み出す者。
(出てゆくこと(自らの外)に憧れながらもその力を受け止めきれず、自壊する者)。
そして病院-体制の管理者たち。
その支配層の代表としてのラチェッド婦長。


これは大まかな構図だが普遍性は見てとれるものだ。
わたしもいつの間にかそこにいた。
当初は無能な管理側にいた自覚がある。
もうはっきりしない思い出だが。
(管理側にいても患者的な立場にいることは十分ありうる)。


マクマーフィーとは何か?
生命力を体現した何者かである。
手段はどうであっても、”生きること”に賭ける。
善悪の彼岸にいて、常に少年のような瑞々さを失わない。
周囲のケに対しハレで居続ける。
だが、常時祭りは開いてはいられない。
マクマーフィーは必ず何を企てるにしても、周囲を巻き込まないといられない。
これが彼の宿命となっている。
そういう機能として世界において作動し続ける。
当然、それは反復数にも限界があり、最終的には大人しくさせられてしまう。
宿命的に。

そしてこの物語の題となっている、”One Flew Over the Cuckoo's Nest”のOneであるチーフ。
マクマーフィーが一人でも出てゆくと言いながらも決行せず、その意思を沸き立たせ続けたことにただ独り応えた男。
「できはしなかったが挑戦したぞ!」その彼の今となっては遺言を、引受け実行した。
「お前をこのままでは終わらせない。一緒に行く。」
そもそも何故彼は、聾唖のフリをしてまで(偽りの自己を装って)そこに居続けていたのか。
いつもモップを持って木偶の坊のように実体を隠して。
それは、父のようにごく自然に始末されることから身を守るためであった。
マクマーフィーのような男が魂を蘇生させてくれることを、ひたすら待っていたに違いない。
その相手にのみ自分の胸の内を語ろうと言葉を押し殺してきた。
(ここが周りの言葉を出そうにも言葉を持たない者との違いであった)。
そして彼はマクマーフィーの魂とともに、鮮烈に生きることに挑戦する。

ラチェッド婦長とは、何か?
社会を管理する優秀な人材であり、良心の体現である。
彼女は常に彼らの話を聴き、問題を独りで抱えずにミーティングの場で共有してゆこうとする。
しかし、彼らに自らを解放する生きた言葉はないのだ。だから大人しく従順でいる。
マクマーフィーが来てはじめて、彼らが自らの身体的欲求に気づきそれをお粗末な表現に置き換えられるようになる。
しかしそれは体制的に受け入れられる言葉にはならない。
必然的に体制側とすれば実態として、ありもしない全体をみなければならない。
「しゃべるのが聞こえないから音楽のボリュームを下げてくれ。」
「音楽はみんなのものです。ここには耳の遠い方もおられます。」
個に対する全体の立場はことごとくこのような平行線を辿る。
規則をもっと細やかに多様に設定して対応すればよいという形式・手段の問題というより価値意識に行き着く。
例え個・部分をいくら緻密に集積しても全体にはならないため、体制としての決定-言葉は常に抑圧となる。
その構造の中でラチェッド婦長は最善を尽くす。
マクマーフィーにとっては「彼女は嘘つきだ」としか捉えられない。

そう、大方の構成員にとっては、彼女に不満をもちながらも、従順に従っていればそれで事足りるのだ。
何がこれといって不自由でもない。毎日もらった薬を飲んでいれば良い。
彼ら自身が未だ解放されていないからか。
(自壊した若者はもう少しこころの準備が要る、と言っていたが)
いずれにせよ彼らはいつまでたっても、死ぬまでそこに居続けることだろう。
しかし、マクマーフィーという男が決定的に彼らのこころに刻印されたことは間違いない。

ここのところ、本当に体調が優れず、やっと生きている状態でこれを観てみた。
最初に見たときはいつごろだったか。
ほとんど覚えていなかった。(いつもそうだ)。
ともかく病院が舞台であったこと、元気の良いアクの強いおじさんが出ていたことは印象にあった。

1975年か、、、。
今思えばそのころは体力だけで生きていたような気がする。

Jack Nicholson
その溢れる生命力に魅了される素晴らしい役者だ。
また、婦長役の女優も申し分ない好演であった。
一番惹かれたのはチーフであったが。


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