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アフターライフ

after life
わたしとしては、クリスティーナ・リッチは、アダムスファミリー以来、お久しぶりである。
シニカルで個性的な美少女であったが。(スリーピーホロウにも出てたか、、、)
ここでは冷たい母親に育てられ、とても愛情を受け止める域の低い小学校の先生になっていた。
神経過敏で痛々しい感じの女性である。
また、思い込みも激しく、あまり精気が感じられない。
何か諦観に似た感情も窺える。

その女性が恋人と、愛情を受け止められないことから発した喧嘩の後に、自動車事故で死亡する。
半ば自分に対する自暴自棄な運転での事故であったようだった。
すぐに医師の死亡通知とともに彼女は葬儀場に運ばれる。
そこから話は始まる、のだが。

その葬儀屋には数日前にピアノの先生の葬式で合ったばかりであった。
その時の葬儀屋の彼女を実態を見透かすような目つき。
正確には、ここから始まったと言うべきか。

葬儀屋と2人の地下安置室での3日に渡る数奇な生活?
「あなたは死んだ」と宣告されても意識のある特異な時間を漂うなか。
自分が一時的な昏睡の後に息を吹き返していることが感じられては萎む。
彼女にとっては、自分が死んだのかどうかが、唯一最大の疑問-問題であることに変わりない。
そしてあの事故は一体何であったのかも。
(どうやら、事故の後で筋弛緩剤か何か打たれていたようだ。
誰に?仕組まれて?)
最後まで、確証は得られず、葬儀屋との奇妙な距離感の中、葬儀の日までズルズルと過ごしてしまう。
やはり葬儀屋の「わたしは死者の声が聞ける特殊能力がある」という暗示をかけられると、もう引き下がってしまう。
懐疑的(反省的)意識が芽生えても吹き消されてしまう。
ただ依存的に退行的になるのだ。

生に確信のない者は、死に直面しても生の実感は希薄だ。
葬儀屋にも、「生きる価値のある人生を送ってきたのか!」
「もういい加減に諦めなさい。」とまで、叱咤される。
逆に見れば、明らかに彼女はまだ生きてるわけだ。
息もしている。脈はとってみたか?それにしてもトイレも行かないで大丈夫なのか?などこちらが心配になる。
しかし、注射を打たれながら、君はとっくに死んでいると言われ続けると、死んだ気になる。
生の感覚なんて所詮、言葉ー(無)意識の問題だ。
葬儀にむけた化粧や死装束などの準備が淡々と念入りに葬儀屋によって執り行われてゆく。
死に誘う暗示の言葉と儀式。
彼にとっては全能感に浸れる純粋な趣味-快楽の時間であろう。彼にとっての生きられる時間なのだ。

今のこれが、”アフターライフ”なのか?
彼女はアナーザーライフを考えてしきりに悔みもする。
何度か緩く脱出は試みる。
だが、外(自分の外)に出るには、やはり根本的に彼女には何かが足りない。
何をするにも朦朧としている。これは重篤な怪我だけの問題ではない。
また、彼氏に電話で助けを求めるたりもするが、彼氏にしても今一歩届かない。
こっちは超越的な視点から眺めているが、彼氏の立場からはあの辺で精一杯だろう、よくやった方だ。
デンゼル・ワシントンなら颯爽と乗り込んでゆくところだが、、、。
生命力その強度が段違いである。(少し映画を混同しているが、、、)

彼女は生きながらすでに死んでいた。
葬儀屋に言わせれば「死んでるのではなく”生”がない」のだ。
ずっと以前からこんなものだったのだ。
あの生の実質を抜き取るような母娘関係から逃れきれなかった。
そして、この女先生の生徒。
彼の母息子関係もただならぬ深刻なものである。
彼と決して語ろうとしない母親と実際に語り合うには、この葬儀屋のようになるしかない。
彼も死体に語りかける資質をもつ少年である。
恐らく彼は将来死体に雄弁に語りかける、葬儀屋の後継者的な存在となろう。

生きる意欲の失せた人間が目にとまる限り、白いワゴンは突如として闇に現れ続けるだろう。

幼い時に学んでしまった愛すれば必ず傷つく、ということ。それでも彼女は彼への愛に迷う。
葬儀屋から、踏ん切りがつかぬなら、彼のところに行ってみなさいと言われ、解放される。
これは彼女が根源的に抱く生への恐怖に打ち勝てるかのテストか?
しかし彼は分かっている。彼女は生きること、やり直すことが出来ない性向なのだと。
究極的な立ち位置でも選択すら出来ない。
生の悪夢に耐え切れず、部屋を出られない。「何も変えられない。」彼女は言う。
諦め横たわる彼女だが、最期に騙されていたことに気づき、抵抗は試みる。
しかし、死を怖がりながらも生を求めることができなかった彼女にもはや猶予は与えられない。

彼女はその気になれば自分を変えることが出来た。
しかし、生を恐れ、死を怖がり、葬儀屋に葬られてしまった。

助けに墓に向かった恋人-彼にもまた、白いワゴンが回帰する。


この映画、細部にわたり周到に演出が行き届いており、赤のコントラストもショッキングであった。



6月の手術入院までは、書けるときは書く事にしました。
刺激は入れたいもので。
アウトプットも出来る範囲ではしたい。

しかし、自分の枠を超え出ることの困難さをつくづく感じる作品でした。
人間、ギリギリのところでも、あんなふうに気だるく、恐れにも立ち向かえないものなんでしょうね。
よく、人間死ぬ気になればなんでもできる、などと言いますが。
生を深く生きていなければ、死も曖昧模糊としていることでしょう。
「分からない。」彼女の言うとおりなのです。
ただ、どのくらい分からないところまで、考えたのか?

言葉-意識にやはり実質がない。
そこがこの映画、特殊な状況を設定しながらも、実にリアルに感じることの出来た点です。

「あとわずかの間だけでも考えなさい。」
葬儀屋の言うことはいちいちもっともだ。

根本的に違うことをしているが、言うこと-認識においては全く正しい。
(アンソニー・ホプキンスのハンニバルが重なっても来る)。



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COMMENT

No title

そうですね
Serial killerなディーコンに語らせる科白が
いちいち尤もで・・・
なぜ死ぬの?と聞くアンナに
生きる価値を知るために
と哲学的回答を出してもいましたし。

”生”は大切に
前向きに生きなくては

なんて思わせてくれる
作品でした・・・。


 

ありがとうございす。

惰性としての現場には後悔も多く満足なんてしてないけど、そこにしがみつくしかない。知らない場所は怖い。
では、改めて自分をどう思うか?何か欲望はあるのか?
分からない。

死を前にしてさしたる緊張感もなく、漠然とした思いのうちに葬られているというのが、大方だと思います。皆、どんな場合にしても中断なのだと。

今どう生きるか、やはりそこにかかってきますね。
死はやはり手に負えない。

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