Love Letter ~岩井俊二(1995)

今年は2015年。
もう20年も経つのだ、、、。
手紙だけの時間性-間合い。息遣い。質感。想い。実存。沈黙。気づき。叙情。秘密。
そして明らかになる真実。決して相対化されぬ確かなもの。
「拝啓、藤井樹様。お元気ですか? 私は元気です」
このあまりにも儚い、覚束無い投企。
そして来るはずもない返事が届くことから、失われたもの、その想いを音もなく降り積もる雪の中に、結晶化させてゆく物語がはじまる。
(宇宙とは、もともとこんな始まりだったことさえ思い浮かべてしまう。)
しかしわたしたちの日常に、この形式はもはや取り戻せない。
メディアの決定的変質がわたしたちの生きられる時を変えた。
e-mail、chat、facetime、、、意識のリズムと流れは本質的に異化した。
この物語は、失われた時を巡り、二重のノスタルジーに染まって流れてゆく。
わたしたちのこころに強烈な憧れを蘇らせるノスタルジーである。
語られているのは、いや映されているのは、過去の色あせた形式や出来事についてではない。
真っ新な図書カードにくり返し書かれてゆく名前の意味が鮮明に明かされる。
そして図書カードの裏側。
わたしたちの世界-情報はスクリーン平面上にひたすら延長してゆく。
秘めやかに手に取り裏返して知る真実がどれだけ残されているか?
その身体性が。
その次元が。
隠されて時熟する静謐な想い。
その暖かくも凍えた哀しみ。
こんなLove Letterがまだどこかに眠っているのだろうか?
ただ読み取られること、受け取られることをひたすら待ちつづけて、、、。
いや、本人にとっては最初からそれを放棄した想い。
ならば書かずにこころにしまっておけばよいものを。
だが、書きつけないではいられないのだ。
もしかしたら人の営みの全てはその強度に突き動かされた結果かも知れない。
芸術も科学も全て。
そして、かたちをいっさいまとわなかった重力から解かれた夥しい想い、、、。
Love Letterとは一体何か?
Love Letterとは一体何か?
亡くなった一人の藤井樹という存在を巡り、その想いが書き交わされ。
時とともに彼が書いた(描いた)想いがはっきりとLove Letterとなって明かされる。
想いは蘇る。
想いだけが蘇る。
ここにもはや時はない。
晴れ渡る一面に広がる雪原に向けて「お元気ですか? 私は元気です」と何度も叫ぶ。
想いだけが狂おしいまでに空間を満たしてゆく。
真っ白に。
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