パンズ・ラビリンス

El laberinto del fauno Pan's Labyrinth
2006年
メキシコ・スペイン・アメリカ
ギレルモ・デル・トロ監督・脚本
イバナ・バケロ 、、、オフェリア
セルジ・ロペス 、、、ビダル
マリベル・ベルドゥ 、、、メルセデス
ダグ・ジョーンズ 、、、パン/ペイルマン
アリアドナ・ヒル 、、、カルメン
アレックス・アングロ 、、、フェレイロ医師
ロジェール・カサマジョール 、、、ペドロ
戦争(スペイン内戦)と父の死、母の再婚、その相手が独裁主義の象徴のような冷酷非情な少尉。
その絶対的な日常が立ちはだかる限り、謎-別の法則下に成立する童話世界が彼女によって要請されるのは不合理なことではない。
それが少女という抽象的な存在であれば、なおのことその世界に生きる権利は高まるはず。
端から現実とファンタジー(ダークファンタジー)などと分けてしまえば、彼女の生きるもうひとつの世界を空想・妄想の類に固定してしまうため、あえて地上界と地下王国ということで、平等に考えたい。
まず両界は少女オフィーリアにとって矛盾なく両立している。森で出会った大きな昆虫が妖精になりその誘いに導かれてから、地下王国のパーンとの関わりが何の抵抗もなく始まる。
しかしそこは地上界の延長にあるのではなく、謂わば重なり合って存在しているため探せば見つかる場所というものではない。彼女の場合、パーンと妖精、童話の本などのアイテムがその次元に導く。
もっとも彼女も地上界と地下王国を等質空間のように自由に行き来できているわけではない。
地下王国においては、入口止まりである。
勿論、彼女は地上界よりも地下王国に住みたいと強く望んでいる。(地上界は義父らの手によってファシズム体制が覆い尽くしつつある)。
自由に行き来できる状況であれば、彼女は地上界に未練はないであろうことは想像に難くない。
パーン(パニックの語源でもあるそうな)羊神は現れるやいなや、いきなり彼女に「あなたこそ地下の王国の王女です。」と仰々しく告げる割に、彼女を迎え入れる条件として相当厳しい危険な試練を与える。
つまり地下王国のメンバーとして正式に選ばれるための試練-儀式を、敢えて言えば地上界~地下王国の亜空間で行ってゆく。地下王国の者たちとの接触はしているが、地上界と亜空間を行ったり来たりしているだけである。そしてそこは、決して優しさや安らかさを暗示する場所には想えない。
暗くて重い。クリーチャーも情け容赦ない非常なものたちだ。
ティムバートンの廃墟感とも異質な時空だ。
パーンから渡されるアイテムとして、マンドラゴアとチョークがある。
それらは、彼女以外の者にも同様の表象として現れる。
マンドラゴアはファシストの義父と今にも死にそうな母(第三者)も見て手にとってもいる。
更に瀕死の母親の容態が急に良くなったのは、それのおかげとしか考えにくい。
チョークは義父は手で掴みそれを砕いており、小間使いとして潜入しているレジスタンスの女もオフェーリアの描いた扉(地下王国の亜空間に繋がる出入り口)を見ている。
しかし、彼らにとっても、それらがオフェーリアにとってと同じく効力(内実)を有するものか痕跡に過ぎないものかは分からない。ただ、オフィーリアを通し、マンドラゴアは童話や魔法世界をまるで信じない母親にも有効性を発揮したことは推測できる。(マンドラゴアが火にくべられ苦しもがく姿はオフェーリアのみの視界でしか描かれない)。
メタモルフォーゼする童話の本(一人で見るようにパーンに言われているため)と妖精(たまたま他の者の目に触れていないだけかも)は彼女の視界の中でしか語られない。
恐らく、地下王国の実質を経験する(あれらのアイテムを使う)には、あれら異界の者とのコンタクトが必要なのだ。そこからはじめてその世界のエネルギーが地上界へと漏れ出てくるのだ。
その世界を彼女一人の妄想(想像)と位置づけるには、アイテムの第三者の可視性、母親への効力、更に過酷な現実の補償(逃避)としては対称性に著しく欠ける(相殺性のない)内容としか考えられない。
新品のドレスと靴を泥だらけにする試練は身重の母親に負担をかけ、限度を超えている。
そしてしぶる彼女に最後に弟を巻ぞいにさせるかのような有無を言わせぬ無理な条件。これが彼女が現実逃避するための妄想として生み出すべきレベルのものであろうか。その必然性がそもそもない(外部性が際立つ)。
そして、第三の試練が究極である。
ここで、彼女の地下王国が想像上のものではないことが判明する。
もし想像でありそれを守るなら、生きて想像し続けるしかない。
生きることが前提となる。しかし、地上界での絶命をはっきり承諾させるメッセージがパーンから放たれる。ある意味究極の非常さである。彼女にとってだけでなく、もし彼がファンタジーの住人であるなら、彼も消える。
絶命したところでファンタジーであれば終了である。
しかし流れはひたすら一点に向けて流れ出す。
彼女は完全に地下王国に移行を遂げるため、ラビリンスに血を滴らせ、絶命する必要があった。
地上における身体を捨てることで移動を完了しなければならない。
地下王国は、別の次元に実在するからだ。
これはパーンによって全て仕組まれた計画である。
わざわざ弟を抱かせて逃げる彼女を助けるがごとく開いた森が、いとも簡単に義父を彼女の元に引き寄せ、最後の決断を促す。彼女の答えも最初から分かっていたことだ。
彼女を祝福のうちに迎え入れるために。
オフーリアの世界はここから眩いばかりに黄金色に光り輝く。
地上にもその証としてひとつの印を残し、、、。

オフィーリア
主演女優イバナ・バケロに尋常ではない美しさを感じた。
最近、出てくる新人女優たちとは、一線を画する存在だ。
ただならぬ知性と感性を感じさせる13歳。
こういう女優はいそうで、いない。
何と目標の女優が、Natalie PortmanとJodie Foster だそうである。
深く納得するとともに、この先が楽しみだ。
この女優が出る映画は今後も観ていきたい。
- 関連記事
-
- 寄生獣
- Love Letter ~岩井俊二(1995)
- パンズ・ラビリンス
- 羊たちの沈黙
- スキャナーズ