インターステラー

Interstellar
2014年
アメリカ
クリストファー・ノーラン監督・脚本・製作
マシュー・マコノヒー、、、 ジョセフ・クーパー
アン・ハサウェイ 、、、アメリア・ブランド博士
ジェシカ・チャステイン 、、、マーフ
エレン・バースティン 、、、、、、。マーフ
マイケル・ケイン 、、、ジョン・ブランド教授
マッケンジー・フォイ 、、、マーフ
ジョン・リスゴー 、、、ドナルド・クーパー
デヴィッド・オイェロウォ 、、、。、校長
コレット・ウォルフ 、、、ハンリー先生
確実に「2001年、、、」を超えた。
というよりあちらの作品が過去のものとなった。
その科学的な厳格さにおいて。
特に重力と5次元への切り込み方である。
ある意味、今一番ホットな領域と言えよう。
それをしっかり支える理論に則した特撮映像・CG。
ユニークで機能的で信ぴょう性あるロボット。(moonに出てくるロボット同様存在感があった)。
ブラックホールに引き込まれてから、重力のみ流出する5次元の描き方が秀逸である。
時間と重力が主役である。
マーフが恩師に「時間の仮定をそのままにして問題を解こうとする前提が誤りだ」と漏らすところ、思わず乗り出してしまった。
ブラックホール内にある特異点、その中心からデータを拾うことで重力の解けない部分を解く。
これが死にゆく地球から人類を宇宙ステーションに運ぶ計画を現実のものにする。
(実際、特異点データが手に入らぬためこの計画は最初から諦められており、主人公たちは騙されて出発したのだった)。
非常に示唆的なやりとり満載である。
そしてディテールに渡る映像の質が説得力をいやが上にも高める。
ワームホール、ブラックホールのリアリティ。
ほとんどすべて理論上でしか存在を推測できていない、光の届かないものが精妙に描がかれている。
時間が物理的次元である代わりに、特定の存在を見つけられない、という見解には唸った。
それは主人公とその娘との時間を巡る壮絶なドラマともなる。
マーフがポルターガイストとして注目していた現象は、父が放つ異なる次元からのデータ通信であった。
次元を繋ぐ唯一の力、重力によるバイナリーデータとして。(本も落ち腕時計がモールス信号を打ち)
父と娘の絶対的な絆がそれをはじめて情報化するに至る。
さらに生命力と意志が重大な決定力となることを随所に知る。
見事なユレーカである。

しかし地球を捨てて他の星に移住ということの困難-不可能さを心底思い知る映画でもあった。
あの恐ろしい海の星。そして見渡す限りの氷だけの地表。
迫り来る途轍もない生命に対する拒絶。
孤絶と狂気。
実際、そうなのだろうな、とつくづく思う。
われわれに最適化された地球の死を早めるような愚行はすべきではない。
さすがにわたしでも思う。
同時に重力の問題の解決-相対性理論と量子論が統合されることが待たれる。
極限的に練りこまれた骨太の大作だ。
SFものによくあるご都合主義など微塵もないストイックさで貫かれている。
人間ドラマも科学理論・VISIONと深く絡んでそれぞれに展開する。
特にマン博士だ。このストーリーの重厚さを窺わせる一端であろう。
これを見て、ほかの作品を思い浮かべるとしたら、”コンタクト”くらいのものだ。
どちらにも、マシュー・マコノヒーが出ている。
幸せな役者だ。
キャストはみな適役であったが、娘役が3世代に渡ってよかった。
特に子供時代の娘役のマッケンジーフォイは素晴らしかった。
ジュディーフォスターに負けない存在感である。
この娘の将来性には恐るべきものが感じられる。
アンハサウェイも健闘していた。



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