娘のピアノ発表会

一昨日、長女のピアノ発表会に行った。(双子の次女の方は別の教室なので後日である)
第一部で29人。と全員合唱。
第二部で18人と先生方の発表。
さらにアンサンブルが4つ。
第一部では一人二曲づつ。いったい何歳なんだというような小さな子ばかり、可愛らしい曲を弾く。
大変な曲数であり、発表者であり、休憩と移動バス時間を含むと結局まる一日の大仕事であった。
しかも、緊張しまくり状態で、喉もカラカラ、三脚にビデオを乗せひたすら撮ることでなんとか自分を落ち着かせた。
(わたしのことだ)
娘は多少は緊張感は見られたが、おちつきはらっていた。
暫く発表の続く中で、わたしはとんでもないことに気づく。
最初の頃は楽曲が簡単だから楽譜を見ないのか、と思っていた。
しかしいつまで経っても楽譜を見て弾く子がいない。
まさか!と思っているうちにうちの娘の番が来た。
ニコニコしながら舞台で挨拶する娘の手には楽譜がない。
袖に送り出す時には持たせていたのに!
わたしはフリーズした。
少なくともわたしが家でみていた範囲では、常に楽譜を見ながら注意しつつ弾かせていた。
一度も練習で楽譜を見ずに弾かせた事がない。
いきなり本番で初めて譜のない状態で弾くなんて、、、。
こりゃ無理だ!
暗譜してないし。
失敗した。
何でそこに気付かなかったのか。
先生は譜を見ずに弾くようにとはひとことも言っていなかった。
長女はお気に入りのワインレッドのドレスで椅子に座り、暫く手を鍵盤上に置いたまま動かない。
わたしは思わず固唾を呑んだ。
時間が止まったように思えた。
やがて間合いをおいて静かに弾き始める。
タッチが弱い。全体に弱い。
しかし、その中での強弱、抑揚はついている。
中間トーンのデッサンを見る思いだ。
ミスタッチも特にない。
リズムは問題ない。
このまま行け。祈るように聴いていると、、、
最後まで行った。
終わった。
わたしに曲想を楽しむような余裕などもとより無い。
椅子から降りて、彼女は舞台中央で無表情にお辞儀をし、袖へと去ってゆく。
どっと疲れが出る。
わたしが疲れてどうする。
小学生に入り、高学年くらいから皆楽譜を見ながら弾き始めていた。
まだ、娘くらいの段階では見ながら弾くほどのものではないのか?
そういうことではないと思うのだが。
戻ってきた娘に聞くと「先生が楽譜はいらないって。」
それで持って出なかったの?
「そう。」
暫く動かなかったけど、困っていたの?
「あたまの中でがくふを思いだしてた。」
それで弾き始めるまで少し待ったのね。
「うん。」
わたしではその状況では、とても弾けない。
娘が逞しく思えた。
アンサンブルでのベル演奏でも音の大きさが少し小さかったがタイミングはしっかり鳴らせていた。
彼女はちゃんとやっていた。
問題はわたし-保護者である。
最後のお花である。
パンフに先生に渡す花は、係りを前もって決めているため、その生徒のみ放送に従い前に出て渡すようにと記されていたため、全くお花のことは、頭になかった。
ところが、最後の記念撮影でみんなが各自、自分のためのお花を持って舞台上に集合となった。
3人の先生の教室の寄り集まった発表会であったが、うちの先生の生徒がほぼみんな花を持っていない。
わたしは焦った。
よく確認しておけばよかった。
コンサートホールに1時間早く到着していたので、花屋に買いに行くことくらい軽く出来たものだ。
幸いお花は何列にも並んで撮るため隠れて見えなくなっていたが。
娘に申し訳ない。
こちらの不甲斐なさに、ほとほと参った。
親はなくても子は育つと言うが、いつの間にかしっかり育っていた。
せめて帰りは娘の好きなイタリアレストランで食べることにした。
ショパンの「子犬のワルツ」がこんなに良い曲だったことに初めて気づいた。
娘が今度上がる小学校の先輩が弾いた「荒野のばら」がとても素敵であった。
「風の丘」のような久石譲の曲を弾く子が何人かいた。クラシックの中に混ざって新鮮に聴こえた。
一番面白かったのは、ルパン三世の格好で出てきた男の子のジャズアレンジ版ルパン三世のテーマであった。
彼はスター性も抜群であった。