パーフェクト・デイ ~ルーリード ~ローリー・アンダーソン ~スーザン・ボイル
PerfectDay
こういう、解釈も出来るのですね。
とても新鮮で晴れやかな気持ちで聴けます。
この曲は最後に4回静かに力強くrefrainされる”You're going to reap just what you sow”にすべてのイメージが収束され打ちつけてきます。
彼女は、かなり宗教的(特定の宗派ではなく自然の摂理への畏敬のよう)な、解釈で歌っているように感じられます。
”You're going to reap just what you sow”
やはりここにかかっています。
この歌をどう捉えるか。
どう聴くかは、ここの捉え方次第かと。
彼女は、とても肯定的に捉えていると思います。
「あなたの行いはきっと報われるのです。」おお神よ、、、。
(ボイルのカヴァーからは一旦、離れます)。
”I thought I was someone else
Someone good”
「わたしが別の者、もっとまともな人間だったらよかったのに。」
曲想からして最初から尋常な曲ではありませんが、このフレーズからあからさまに不穏になります。
とても不安に心細くなり揺れてきます。
そして例の最後のフレーズに至るのです。
何故4回も、静かに確かめるように囁くのですか?
耳元で囁くように。
「きっと報いを受ける。」(これに落ち着くか?)
だとすれば、、、
どう繋がるのか?
ひとつ、ここで当時のアーティストたちを思い浮かべてみます。
ミッシェル・フーコー氏も交え、フレディ・マーキュリー、キース・ヘリングなどの著名人(文化人)にも少なからず見られた同性愛者の光景と捉えてみますと。(当然ルーの周辺の多くの人々の中にも見られた光景でしょう。)
「きみの観た(捉えた)ままに受け取ればいいさ。」
どうにもできない業ー現実というものがあります。
”I thought I was someone else
Someone good”
諦観以外の何でしょうか?
PerfectDayなのに何故、このフレーズが、この自分の「存在自体」に見切りをつけたような一節があるのでしょう。
前提として自分たちにとってあり得ない”PerfectDay”を歌っている。
「そのふたり」の光景が淡々と呟くように歌われていたのでしょう。
(ルー・リードの視点は常にマイノリティーに向けられてきました。それにPerfectDayを反語と捉える方がルー・リードという詩人の場合必然に思えます。)
先ほど書いた、「業」が「病い」でもよいのですが。
「薬(ヘロイン)」もありかも知れません。
trainspotting
という感じでしょうか。
みなさまの解釈・感想よかったらお伝えください。
(わたしが限定してしまったフレーズ関係なしに)
実はわたしは、つい最近まで、ルー・リードとローリー・アンダーソンがご夫婦であることを知りませんでした。
確かに、ロックを聴きまくっていたのは、大学卒業までですから。(友人はロッカーが多かったです)
わたしはルーもローリーも好きなアーティストで、アルバムはしっかりもってはいますが、、、ファンの風上にもおけませんね。
(なんせ、ジョー・ストラマーが亡くなったのも最近知ったぐらいですから。コンポーザーとしての彼に非常に注目していたのですが、早かったですね。慈善事業など社会貢献も先頭に立ち広くおこなっていました)。
ルー・リードとローリー・アンダーソンは、ソウルメイトとしてずっと一緒に暮らしていたそうです。
大変創造的な刺激を与え合っていたことでしょう。
でもある時、急に結婚することになったそうです。
急遽、土曜日に彼らの友人の家の裏庭で普段着のまま式をあげ、その直後にローリーはコンサートに直行したそうです。
同業者でよかったです。
その状況が理解し合えますから(笑
喧嘩にはなりません。
ルー・リードの肝臓癌がもう手の施しようもなくなった時、2人はニューヨークの自宅に戻り、朝の陽光を浴びたいというルーの希望で戸外に出たそうです。
わたしたちは瞑想の実践もしていたので、力を腹から心へ引き上げ頭頂部から抜けさせていく、その準備はよくできていた。それにしても、ルーの死に際しての表情ほど驚きに満ちたものをわたしは見たことがない。ルーの手は水の流れのような、太極拳の21式の動きを辿っていた。目はしっかり開いていた。わたしは自分の腕の中にこの世で一番愛しい人間を抱えながら、死にゆくルーと言葉を交わしていた。そしてルーの心臓が止まった。ルーはそれを恐れてはいなかった。わたしはルーとこの世の最期まで文字通り一緒に歩いていくことができたのだ。人生とはあまりにも美しく、痛ましく、まばゆいものではあるが、これ以上のことはありえない。そして死とは? わたしは死とは愛を解き放つためにあるものなのだと思う。
ルーはきっとまたわたしの夢に現れては、また生きているように思わせてくれることだろう。そしてわたしは今ひとりここに残されて、呆気にとられながらも感謝の気持ちでいっぱいになりながら立ち尽くしている。わたしたちの現生の人生において、わたしたちの言葉と音楽を通して、お互いのことをこれほどまでに変え合って、これほどまでに愛し合えたことは、なんて不思議で、刺激的で、奇跡的なことだったのだろう。
ローリング・ストーン誌(妻ローリー・アンダーソン寄稿)
”You're going to reap just what you sow”


”You just keep me hanging on”
ルー・リードの”PerfectDay”はSusan Boyleのカヴァーで聴きたくなりました。
彼女のあのVISION、充分にあり、だと思います。
最近イタリアのシスター・クリスティーナがマドンナの”ライク・ア・バージン”を歌っていますね。
あれはオリジナルより数段よかったです。
音楽はテクストのように読み替えられていくことを望んでいるように思われます。
何と神聖なライクアヴァージン
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