Steve ありがとう でも

Steveと言えば、本当にありがとうと言いたくなるヒトが何人もいます。どこかの雑誌に”Steveありがとう”でしたっけ、タイトルの特集がありましたね。Steve Jobsの追悼特集でしたが。私もSteve Reich、Steve Hackett、Steve Jobsには特別な感情があります。
よくSteve Jobsは太陽に例えられます。距離を持って接している分には恩寵のみ受け取れるが(全くその通りで)、近づきすぎるとイカロスのように焼かれてしまうと(追っ付刃というより翼で、高く飛びすぎてはいけない)。
彼についてよく言われること。一つのことに異常な集中力を発揮すること、眼光が鋭くそれでヒトを操る術をもつこと、自分の主張をどこまでも通し、しばしば関係を修復不可能にすること、、、。
3点目について少し考えてみます。
通常、話してすぐ分かり合えるというのは、勿論細部においての食い違いや勘違いはあったにしても、平和的なコミュニケーション関係として収まります。そこから何が生まれるかとかは別にして。しかしアイデアを持ちかけたら直ぐに成程、と還って来るのはもうすでにそれを相手は知っているという事に他ありません。本人が気づいていなくてもそれがそれとして分かる、という関係はすでに意識が構造化されていなければ生じ得ません。すでに知っていることを確認し合っているとき一番、我々は安心し穏やかな気分になります。又は適度に高揚した気分に浸れます。丁度メディアに接しているときがその典型ですね。マクルーハンがメディアはマッサージだと、いみじくも言っているように。
Steve Jobsの周囲には並はずれた才能が集まっていました。天才と呼ばれるようなヒトたちが。でもそのヒトたちでも彼の言う事はほとんどチンプンカンプンだったようです。Jobsはそのことが不思議でなりません。彼にとってそれは正に目の前にありありと想い浮かべることのできる物だったからです。それを何とか分からせようとしますが、誰にも見えてきません。通常の言葉は役に立ちませんでした。それを知らせる言葉は見つかりませんでした。
そんな立場に立ったらどうしましょう?言葉の本来の意味での孤独。
彼の周囲のヒトたちも話してすぐ分かる程度のことならとっくに自分でやってます。
Steve Jobsはマーケットリサーチで人々が欲しがっているものを見つけようとか、既存のものを少し便利に改良しようなんて考え、微塵も持ち合わせておりませんでした。まったく新しいライフスタイルを、今ない考えを、まったく新しいアイテムの提供により人々に根付かせようとしました。彼は「宇宙に衝撃を与える」つもりでやっていました。今、私もそれをベースにした暮らしを普通に送っています。コミュニケーションは文化の交通というレベルで考えると戦争が一番飛躍する時でしょう。その交通関係は得てして個人レベルにあっても、一種の強烈な飛躍を要請する関係となりましょう。でも誰もが後で口々に、Steve Jobsは私の可能性を120パーセントに引き上げてくれた、と感謝のコメントを残していることも事実です。かなりの衝撃を食らったとしても(笑)。
人間、本当に分からないことは、本当に分かりません。
discommunicationとよく言いますが、分からない人とはとことん分かり合えません。しかし、命がけで分かり合わなければならない時というものもあり得ます。きっと誰にも。

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