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GOMA28

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宇宙戦争 1953 ~ジョージ・パル ~パペトゥーン ~神 VS 火星人

The War of the Worlds

だいぶ以前、テレビ録画してDVDに焼いておいたものを全部通して観た。

プロジューサーがあの伝説のアニメーション、「パペトゥーン」を発明したジョージ・パルである。
わたしは、そのパペトゥーンというアニメーションの存在を知る前に、ピクサーを見てしまい、そのままずっときたものであるから、未だにそれを見ていない。
DVDが出ているはずである(いや、出たことがある、か?)。
そう言えば、火星人の宇宙船が電気スタンドに似ていたが、ピクサーのあの始まりに出てくるキャラもまさしく電気スタンドではないか!、、、別に関わりはないか、、、。

脱線したが、パペトゥーンによる人形は驚く程、柔らかく動くアニメーションで当時画期的なものとして注目を集めたという。
しかし、その作成が大変な労力を必要とし、一こま一こま異なるポーズの人形に差し替えて撮影してゆくというものらしい。
ひとつのキャラで何千体もの人形が必要となる技法だ。
しかしその動きはというより、その変容の絶妙なところが唯一無二との評価がなされている。

パペトゥーンの制作にあたりジョージは少なからぬ優秀なお弟子をもってはいたのだが、その後の後継者が出ていない。
つまり、その技法によるアニメ映画を引き続いて作ろうという人は出ていない。

やはり対費用効果や単に効率からみても、CG制作の方が簡単だし経費も断然安いはず。
基本形を一体つくるだけで、そのキャラについては無限の動きが生成可能であるから。
さらにアプリケーションのヴァージョンアップ毎にできることは、安定度を増し確実に増える。
しかし、かの独特の動きで知られる「パペトゥーン」はやはり一度は見ておきたいものだ。


ともかくディレクターより先にプロジューサーの名前がロールで出てきた。
確かジョージ・パルは、アニメーション作りを経てプロジューサーになったというから、もうこの時点でパペトゥーン制作はしていないはず。
この「宇宙戦争」でも宇宙人の動きなどに使われているか見ていたが、そのような映像はなかったと思う。
宇宙人は全体像は見せずに闇の中から一部を垣間見せることで、恐怖を演出していた。
それは、全く正しい撮り方であるが、仮に全体像など見せてしまったら、元も子もなくなっているだろう。
特撮は、撮り方である。
一部のディテールを見せるだけでも雄弁に魅せることは出来る。
火星人の手が女性の肩にフッと触れた場面など秀逸であった(一緒にひえ~っと言いたくなるではないか!)。

こちらの感覚に対し、直接性を持つことがいかに大切であるか。
前半の暢気で能天気な雰囲気に比べ、後半の暴徒化した人々の蛮行と廃墟化した街の動きには危機迫るものがあった。
火星人の研究サンプルを大事に輸送していた博士の怒りも十分に共感できる。
この辺は本当に身に迫る普遍的な展開である。
逆に人類としてこのレヴェルを超えなければ、やはりクラトゥに粛清されるのは無理もない。
その前に、火星人の宇宙船に原爆を落とすという暴挙をやってのけるのは戴けない。
アメリカは反省していないのか!(宇宙船は電磁気シェルターに守られ、あっけらかんとしている)
この無神経さに違和感をもってしまうのはわたしだけか?

前半の能天気と書いたが、神父がひとりで火星人の戦隊(何故か常に3体1組で行動)に対し、対話を求めてゆくところは、ある意味素晴らしい行動に見える。
「意思の疎通が充分試みられてはいない。同じ生物であるなら、コミュニケーションは可能であるはずだ。」
しかし向こうは、他者であった。(この意味では日本人も他者である)。
まさに神父が殺されてから、激しい交戦(といっても一方的に火星人の一人勝ち)が始まってゆく。
人が火星人の光線で消えたところを見た博士は間髪を入れずに「中間子を無効にして物質を解体するのだ!」と確信をもって叫ぶ。相当な湯川秀樹先生のファンであったことが分かる。(攻撃が通じないと見るとすぐさま、「電磁気シェルターに守られている!」とその原理を言い当てる。流石は湯川博士の愛弟子!?)

そしてこの作品を名画に位置づける例の教会のシーンである。
後半からここへの流れは一部の隙もない圧倒的なものである。
特に、この教会を出入りしながら博士と彼女がお互いを探し惑う顛末は、ありありと見る悪夢そのものである。
この身体性-リアリティには驚くしかない。
あの前半の、のほほんとした間延びする、どこか遠くから眺める感じの情景から、この急展開、同じ映画かと思うくらい撮影・内容・作りが違う!ように見える。
これも手法の内なのか?

そして不安に戦く人々の集まる教会の崩壊寸前で、神ーキリスト教の勝利となる。
これは、信仰を問う映画であったのか?

「神が自然界に御作りになった、もっとも小さきものが我々を救い賜ふた。」


こういうことは確かにある。
非常に説得力のある締めくくりであった。


惜しむらくは、前半、特に最初の出だしあたりは、本当に時代性を感じずにはいられない。
あのような解説は、後々の科学の発達を想定して語らずにいた方が、映画作品の格調を保持できると思う。
特に科学のパラダイムは新説-新たな統一理論が出ると、ころっと変わる。


前半だけ作り直したい。

という気持ちとともに、昔のSFは味わい深い、としみじみ思う。
H・G・ウェルズ原作であるからなおさらか?




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