”画皮 あやかしの恋” ~恋とは ~絶望

2008年
シンガポール・中国・香港
ジョウ・シュン、、、シャオウェイ(妖魔)
ヴィッキー・チャオ、、、ペイロン(ワン・シェンの妻)
チェン・クン、、、ワン・シェン(将軍)
スン・リー、、、シア・ビン(降魔師)
チー・ユーウー、、、シャオイー(シャオウェイを助けるトカゲの妖魔)
ドニー・イェン、、、パン・ヨン(元将軍、ドニー兄貴)
では、というところで、中国映画の「画皮」というもの。
サブタイトルは「あやかしの恋」とあります。
確かにあやかしの恋の脈動により物語が生成されてゆきます。
人騒がせな恋の物語だな、とは思いましたが、、、。
恋とはそもそも何か?恋そのものが人騒がせなものなのか?
少なくとも、恋はドラマを複雑にするものでしょう。
映画で、恋愛ものはほとんど見ていないですね。
「夜の上海」は観ました。ビッキーチャオ主演ですと。
ビッキーチャオが円熟した美しい女性を演じています。
「CLOSER」のころは、軽い感じのおねえちゃん。
でしたが。(失礼)
監督もして高い評価も受けているそうですし、演技も巧みで根っからの映画人なのでしょうね。
5大スター一同に会し、とジャケットにありましたが、わたしは映画に疎いため、ビッキーしか知りません。
中国(台湾含む)映画「命」、という人からは風上にも置けんと当然言われることでしょう。
が、ここは大目にひとつよろしくお願いします。
ゴードン・チャンという監督、非常に熟れたお手並みで、数あるテンプレートからひとつ摘み出し、5大スターとその他の役者をポンポンと嵌め込んで、キーワードを「あやかし」、「恋」、「アクション」とでも入力すると、たちまちこういう映画が自動生成される、という風な光景が目に浮かんできてしまいます。
この映画を観て、、、。
中国恋愛アクション映画という伝統と様式がすでにしっかり形成されていることを感じました。
お約束のワイヤーアクションも多用されキラキラとそれは賑やかな、、、。
しかし観ているうちにその光景は解像度を落とさず遠ざかります。
その甘美でアーティフィシャルな模型世界。
精巧に作られたミニチュアの街を綺麗な人間人形が剣を交え、飛び回り、切々と語り合う、、、。
殺し合うが、ひょっこり生き還る。
それは摩訶不思議な幻想世界。
テーマの恋愛というものは、普遍的なものです。
この物語を現実に当てはめて考える・思うことは可能でしょう。
が、わざわざそのような見方をする意味を感じさせない完結性。
遠くに、閉じている星雲を眺めるように観る映画です。
多分、仕事は仕事。息抜きは息抜き。ときっぱりけじめを付け生活している人に向いている娯楽映画です。
生々しいドラマを演じているように見えて、彼らには、身体性がない。
はっきり隔絶された場所で生きる人間人形です。
宮崎駿のアニメーションにも作品によっては見られるものです。
きっと、新たな伝統芸能として洗練されていく方向性があるのではないかと思います。
象徴的に、そこで演じられるあやかしの恋(との恋)も、はじめから時間的に届かぬ距離-絶望です。
形式的な絶望です。
空間的な距離なら、移動は困難であろうと可能性に裏打ちされたロマンが色濃く点灯します。
地続きな場所なら。
しかしあやかしの恋(との恋)は、漆黒の天空の底に点っています。お互いに。(相対的に)
それは宿命的に妖しい光を放って。
誰もが魅入られますが、距離を見誤ったものは死ぬしかありません。
そのあやかしも距離を見失います。
最期に、あやかしの女性も、深く絡んだひとたちも、粋ですね。
完全な諦めからはじめて粋な計らいが出るのかも知れない。
中国映画なのに粋な方々でした。
恋とはそもそもそういうものなのか?
恋さなければ、この場合あやかしの一方的な搾取で方が付きます。
しかしそれは単なるホラー映画です。
アンダー・ザ・スキンです。
もしかしたら恋というものは、本質的に粋なものなのかも知れない。
つまり、絶望を前提にした。
Love Will Tear Us Apart(Joy Division)
これは、恐ろしく難解なテーマであり、30分やそこらで、手に負えるものではありません。
と言うより、このテーマは今後、避けて通ります。
書ける映画が確実に減った。
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