プロメテウス

Prometheus
2012年
アメリカ
リドリー・スコット監督・製作
ノオミ・ラパス、、、エリザベス・ショウ(考古学者)
ルーシー・ハッチンソン、、、若き日のショウ
シャーリーズ・セロン、、、メレディス・ヴィッカーズ(調査ミッション責任者)
イドリス・エルバ、、、キャプテン・ヤネック(船長)
マイケル・ファスベンダー、、、デヴィッド(アンドロイド、運航担当)
ガイ・ピアース、、、ピーター・ウェイランド(ウェイランド・コーポレーション社長)
ローガン・マーシャル=グリーン、、、チャーリー・ホロウェイ(考古学者)
前日譚と解釈できる作品ですね。
「エイリアン」の。
「エイリアン」より空間的なスケールの大きさを感じます。
それでいて密度も濃い。
ただ、硬質な触感、手触りの感覚は「エイリアン」より薄れているように思います。
物質感は「エイリアン」に強く感じました。
さらにプロットは人類の起源の探索をめぐり展開します。
創造主「エンジニア」に接触することを目的にしています。
はっきりとした動的な軸があります。
そして何より絵が美しい。この絵はやはり紛れもない、リドリー・スコットの世界です。
何故、彼らは。
何故、人類を生み出したのか。
そして何故、人類を滅ぼそうとしたのか。
それはエンジニアに直接聴く他に方法があるでしょうか。
しかしそれを聴いたところで、自らのDNAを地球に根付かせたことと、心的存在ー現存在としてのわれわれに直接性はもはやないとも言えるはず。
恐らく、エンジニアが地球を滅ぼしにたつことを決めたのは、ウェイランド・コーポレーション社長の言葉を聞いたことが原因でしょう。またはロボットのデイヴィッドが翻訳時に異なることを伝えたのでしょうか。
エンジニアがすぐに地球に向けて出発するほど、逆鱗?に触れるような内容だったのです。
それはヒトの死を引き伸ばすこと。不死の願い。
創造主ならできるはずであると。
昨日とりあげた「地球の静止する日」のクラトゥも「いつ死ぬかは、神のみぞ知る。」
と語っています。(あの映画の重みが分かってきます)
生と死の2点に関しては、ヒトの管轄外であり、口出しできる問題ではないようです。
しかしエンジニアにそれが委ねられると言う訳ではありません。
たとえわれわれが彼らの遺伝子をそのまま受け継いだ生命体であったとしても、その意味で彼らが創造主であろうと、もはやわれわれは、、、いえ、ただ迷うばかり、、、迷いは深まるばかり。そのあり方を一般に実存と呼んでいるだけか。
結局、最後に残った考古学者エリザベス·ショウは、壊れたデイヴィッドの道案内でエンジニアの惑星に向け飛んでゆきます。
答えを求めて。
再び星間の果てに。
あれほど過酷な経験を経てもなお。
地球に戻るのではなく。
しかしたとえエンジニアに聴く機会があったとしても(デイヴィッドはあからさまに無駄だと返していますが)、彼らに応えられるとも思えません。答える気もないのでは。では、彼らの創造主は誰なのか?何者なのか?
起源をどこまで求めるのか?
それが科学だ。確かにそうでしょう。
しかし起源を突き止めて、そこに何らかの答えがあるのか?
そこに何を読み取るかが全てではないでしょうか。
それは結局、われわれの問題なのではないでしょうか。
さらに。
それは外に求めるものなのか?
遥か宇宙の果てに?
あえて内にとも言いませんが、0.1mm範囲の近傍、さらにミトコンドリアあたりで何かが窺えるかも知れません。
案外、LHCよりも遥かにコスパのよい実験室の片隅で紳士的な出立の博士に発見される可能性もあります。
この辺になるとレトロなSFの方に本来の科学の香しさが漂ってきます。
とは言え、この「プロメテウス」、「エイリアン」に勝るとも劣らない圧倒的なエイリアン映画です。
リドリー・スコットの真骨頂でしょう。