地球の静止する日 (ロバート・ワイズ監督)
メトロポリスからクラフトワークへ
ここに昨日、わたしも記事に採り上げました、”メトロポリス”と”クラフトワーク”に関する、大変気品漂う名文が綴られております。特に、「メトロポリス」に纏わる逸話はきっと想像力を刺激されることでしょう。SAKI様のブログです。ぜひご覧になってください。
さて、今日は、本来なら「未来世紀ブラジル」の流れなのですが、「地球の静止する日」にしました。念のため「地球が静止する日」の方ではありません。1951年制作。ロバート・ワイズ監督のものです。

この映画も、既視感がものすごくあったのですが、いつごろ見たかは記憶にありません。
意識的に観ていないころでしょうね。
ロボットとかそのようなものに異様にフォーカスしてイメージが沈潜してゆく年代に見ているかも知れません。
ブルーレイで観ましたから、オーソン・ウェルズの「審判」(ブルーレイ)と互角の美しさでした。(どちらもモノクロ)
わたしはDVDでもお釣りの来る程度の画質ではないかなと、この時代を考え想っていましたが、とんでも無い綺麗さに驚きました。つい最近撮られた映画に思えるほどです。
それは、内容に関してもです。
時代性を感じさせるものは車・バイクや電話等に見られますが、何の違和感もありません。
別に未来の出来事を想定しているわけではないですから。
普遍的テーマをとりあげて表現しているだけです。
わたしの生まれるかなり前の戦後、これから明確に冷戦体制に入るという頃に作られた作品です。
恐らくロバートワイズ監督他制作集団は危機意識から使命感をもち制作したのだと思います。
映画としても極めて禁欲的にテーマに沿った破れ目のない作品に仕上がっています。
これは傑作です。
アメリカが共産圏という他者に対し敵視とともに過剰に怯えているこの時期に、UFOでわざわざ地球に飛来し、いきなり生身を晒してメッセージを伝えようという宇宙人クラトゥの真摯な姿勢に打たれます。
が、文字どうり警戒心の強い地球人に銃で撃たれてしまいます。(クラトゥは防護服すら着ないで降りて来たのです)
これだけとっても、まさに人類の普遍的精神-態度を提示しています。
いまも何ら変わりません。
その後の展開も同様で、地球全体のことより功名心等を優先する利己的な人間が対比され描かれてゆきます。
テクノロジー的な面でも、宇宙人の科学力はこのレヴェルにあるということを前提にしているので、引っかかるところはありません。ただ後半に至っても彼は何であんな簡単に銃撃を受けてしまう行動に出るのか、についてはわたしには分かりません。(物事には分からないことがあるのは当然です)
深い意図があるのでしょう。
最近の映画でも軌道傾斜角度の考慮がなかったり、まさかという消化器で宇宙空間を移動など志村けんのバカ殿ならするであろうような場面がシリアスに描かれていたりします。
これはそのような破れ目がないSFとして成立しています。
ロボットも全く語らず、力強く威厳に満ちております。
最近ペラペラしゃべるおべっか使いの薄いロボットが増えてます。
そういう輩は”ゴート”(ゴドーではなくてゴートですね)に一気に踏み潰されることでしょう。(なんせ彼は地球も破壊できるというのです)
また、クラシックカーが妙にモダンで素敵な乗り物に見えました。
まるで未来の乗り物かと錯覚するほどに。
全体にとてもモダンでおしゃれな雰囲気の漂う映画でした。
変な小細工のないところがかえって功を奏します。
ところで、最も根本的な謎が残されています。
ある意味この映画は、この時期によく制作したとも言えそうな映画にとれますが、アメリカ資本主義というより覇権主義のプロパガンダにも充分になりうるものだと思えます。
地球を去る前にこれだけは人類に早急に伝えたいと人々に残したクラトゥの演説です。
結局、平和を守るためなら武力は正当化される、というもの!
アメリカの思想そのものです。
それは、いつだって「わたしの平和」を守るためなら、、、であります.。
言うことをきかねば武力に訴える。
言われなくても分かっている。(それを意識化させるためなのか?)
クラトゥは何しに来たのか?
その真意は謎に包まれたものです。
傑作は奥が深い。
ここに昨日、わたしも記事に採り上げました、”メトロポリス”と”クラフトワーク”に関する、大変気品漂う名文が綴られております。特に、「メトロポリス」に纏わる逸話はきっと想像力を刺激されることでしょう。SAKI様のブログです。ぜひご覧になってください。
さて、今日は、本来なら「未来世紀ブラジル」の流れなのですが、「地球の静止する日」にしました。念のため「地球が静止する日」の方ではありません。1951年制作。ロバート・ワイズ監督のものです。

この映画も、既視感がものすごくあったのですが、いつごろ見たかは記憶にありません。
意識的に観ていないころでしょうね。
ロボットとかそのようなものに異様にフォーカスしてイメージが沈潜してゆく年代に見ているかも知れません。
ブルーレイで観ましたから、オーソン・ウェルズの「審判」(ブルーレイ)と互角の美しさでした。(どちらもモノクロ)
わたしはDVDでもお釣りの来る程度の画質ではないかなと、この時代を考え想っていましたが、とんでも無い綺麗さに驚きました。つい最近撮られた映画に思えるほどです。
それは、内容に関してもです。
時代性を感じさせるものは車・バイクや電話等に見られますが、何の違和感もありません。
別に未来の出来事を想定しているわけではないですから。
普遍的テーマをとりあげて表現しているだけです。
わたしの生まれるかなり前の戦後、これから明確に冷戦体制に入るという頃に作られた作品です。
恐らくロバートワイズ監督他制作集団は危機意識から使命感をもち制作したのだと思います。
映画としても極めて禁欲的にテーマに沿った破れ目のない作品に仕上がっています。
これは傑作です。
アメリカが共産圏という他者に対し敵視とともに過剰に怯えているこの時期に、UFOでわざわざ地球に飛来し、いきなり生身を晒してメッセージを伝えようという宇宙人クラトゥの真摯な姿勢に打たれます。
が、文字どうり警戒心の強い地球人に銃で撃たれてしまいます。(クラトゥは防護服すら着ないで降りて来たのです)
これだけとっても、まさに人類の普遍的精神-態度を提示しています。
いまも何ら変わりません。
その後の展開も同様で、地球全体のことより功名心等を優先する利己的な人間が対比され描かれてゆきます。
テクノロジー的な面でも、宇宙人の科学力はこのレヴェルにあるということを前提にしているので、引っかかるところはありません。ただ後半に至っても彼は何であんな簡単に銃撃を受けてしまう行動に出るのか、についてはわたしには分かりません。(物事には分からないことがあるのは当然です)
深い意図があるのでしょう。
最近の映画でも軌道傾斜角度の考慮がなかったり、まさかという消化器で宇宙空間を移動など志村けんのバカ殿ならするであろうような場面がシリアスに描かれていたりします。
これはそのような破れ目がないSFとして成立しています。
ロボットも全く語らず、力強く威厳に満ちております。
最近ペラペラしゃべるおべっか使いの薄いロボットが増えてます。
そういう輩は”ゴート”(ゴドーではなくてゴートですね)に一気に踏み潰されることでしょう。(なんせ彼は地球も破壊できるというのです)
また、クラシックカーが妙にモダンで素敵な乗り物に見えました。
まるで未来の乗り物かと錯覚するほどに。
全体にとてもモダンでおしゃれな雰囲気の漂う映画でした。
変な小細工のないところがかえって功を奏します。
ところで、最も根本的な謎が残されています。
ある意味この映画は、この時期によく制作したとも言えそうな映画にとれますが、アメリカ資本主義というより覇権主義のプロパガンダにも充分になりうるものだと思えます。
地球を去る前にこれだけは人類に早急に伝えたいと人々に残したクラトゥの演説です。
結局、平和を守るためなら武力は正当化される、というもの!
アメリカの思想そのものです。
それは、いつだって「わたしの平和」を守るためなら、、、であります.。
言うことをきかねば武力に訴える。
言われなくても分かっている。(それを意識化させるためなのか?)
クラトゥは何しに来たのか?
その真意は謎に包まれたものです。
傑作は奥が深い。
- 関連記事
-
- 月に囚われた男 MOON
- プロメテウス
- 地球の静止する日 (ロバート・ワイズ監督)
- メトロポリス {クラフトワークも少し}
- 一服 「ポンペイ」 そして 「舟を編む」