ありのままに~「喜びから人生を生きる」を読んで

今多くの場所でありのままを自分に許す流れが窺えませんか?
アナ雪だって、なぜあれほどのヒットを記録し、あの歌が歌われたのでしょう?
自分の無意識レヴェルでの共感に従ってのことだと想えます。
わたしはあの映画は、騒がれている以上の本質力をもつと思っています。
”Let it Go”というよりむしろ、”Let it Be”かとは思いますが。
この本の内容に関しては、バシャールを読んで以来、わたしにとって新しい知識ではありませんでしたが、それをどれだけ理解していたかといえば、外的価値に従属して生活するなか、身体化するまでには至らなかったと言えます。
出来ていれば、わたしも病気にはならないでしょう。(自分のいるべき場所が明らかに違うという感情から来たものであることはすでに判明しています。)
この本の何よりのポイントは、専門的な研究者ではない、所謂普通に暮らす女性が自分の体験を元にそこで得た認識を言葉を選びつつ、披露しているところです。(彼女は末期癌による臨死体験のヴィジョンから認識を得ました)
そしてある意味、このような報告は、類似するレポートどれにも共通する(同次元の)認識が示されています。
そこに彼ら(彼女ら)に啓示された「真実」の信憑性を窺うことも出来ます。
特に、時間の観念は単に人間理性の作り上げた認識枠に過ぎないこと等、カントを始めとして、J・Gバラードなど先鋭的な作家や物理学者が論じていたことですが、このように平易に体験談として語られると、実感が違いますね。
優しい記述ですが、完全な認識を得た相応の強度を覚えました。
この時間の観念ほど根深いものはありません。
すべてのことが同時に起きている。
何度もバラードの小説で読んでいたのに。
作者は思考から解かれた時にこの認識がやってきたように書かれていますが、ある意味それは、アントナン・アルトーの述べる、真に明晰な思考によるものなのかと思います。
バラードらも、思考により時間の実相を割り出したのですから。
一般に言われる思考は、概ねcodeのうわなぞりに過ぎません。
真の思考とはそんなものではないと思っています。
一番印象的な記述は、外部に自分の力を奪われないように、というものです。
確かにその言い方は腑に落ちました。
外から強いられ義務からやれば、明らかに生命力が削られます。
自分が真にやりたい事をそのベストなタイミングで自然にやる。その時が正に全宇宙がサポートしてくれる時なんですね。
これによると。怖れや不安からではなく、ワクワクしてそれに信頼して乗る。
ここに力は必要ないです。
存在すること。
Seinが死を気にしつつ生きる者ではなく、不死の意識(純粋意識)として全一的に連動し続けることであり。
もはや時間はなく。
やはりすべては言葉でしょう。
初めに言葉ありきです。
結局、この現象界において、その人間がどのような言葉をもつかですべての現実が創造されるということです。
(この本の著者は、末期癌が自分を縛ってきたそれまでの信念を手放したことで、たちまちの内に完治したそうです。)
存在の自由とはこういうことをいうのでしょうか?
あえて、実存とは言いません。
こういうふうに生きるため我々は受肉したのでしょうか?
あえて、個として。
全体の繋がりから、流星のように独り解かれて。
多分、この地球自体が、そのような魂を育む場所ー段階なのかも知れません。
ルドルフ・シュタイナーのアーカシャー年代記が蘇ります。
めくるめく地球の孤独に想いを馳せます。
まだ再開の目処は立ちません。
臨時のアップです。
- 関連記事
-
- 現実でもなく夢でもなく ~サード・オピニオンへ
- 病んだ時間~喜びから生きる~断片補遺
- ありのままに~「喜びから人生を生きる」を読んで
- 躑躅
- 不眠の朝