お焼香をあげに

お隣とそのお隣がほぼ同時期に揃ってお亡くなりになった。
すぐにお通夜等かけつけるものであるが、あいにく週日であり、帰りも遅くて参列できず、土日にと思ったのだが、それもどうにもならない用が入り、今日は午前は変更できない予定で、午後は疲れて寝てしまったもので、(そう、ここのところの疲労は尋常ではなかった。人身事故とかの影響大である。)明日は確実に行くことにしている。
お焼香に。
お隣は、うちの母より若いがほぼ同年輩の女性の方。つまりわれわれのお母さんに当たる方。
そのお隣は、やはりお隣と同年輩の、丁度おとうさんに当たる方。
親戚の場合は、一日忌引きをもらい、その日の朝から電車で出かけてゆくのでこういうためらいは生じない。
ご近所の場合はまず、うちの母親がすべてしてくれているので、少し後にお隣にお線香をあげに行けば良い手筈なのだが、これがすぐに行けそうで、なかなかゆけない。
土日のどちらかでタイミングを見て行けるはずなのだが、、、。
恐らく子供の頃など色々とお世話になっていることは確かだ。
罰当たりとか何とかというより、そのご家族に申し訳が立たない。
長く伸ばすと、ご近所付き合いにもよくない。
明日は最優先で午前中に速やかに行くつもりだ。
考えてみれば、お隣もそのお隣もお宅に上がったことが、これまでに一度もない。
故人と話したこともほとんどない。(忘れているかも知れぬが)
近所とは言え、近くて遠い未知の場所だ。
親戚の葬儀でも集まったヒトの何%知っているかといえば、極親しいところ以外はどこの誰だかさっぱり分からない。
そんなものだ。だからいつもそこで、名刺交換して自己紹介して親戚との親交を図る場ともなっている。
お話を伺えるようなら伺いたい。
何らかのエピソードを。
ほとんど存じ上げない方たちであるが、些細な物語でも最期の日々のことでも。
勿論それでも何も知らないに等しいが、僅かでも亡くなった相手についての物語の片辺を垣間見たい。
実感のまるでないテレビなどで見る死ではない死に、ほんの僅かでも触れたい。
死に際しての生の場所をそこで分かち合いたい。
隣のおかあさんは、わたしの小学・中学時代のクラスメートの女の子のおかあさんでもある。
彼女とは、小学校の時、一緒にダンスをしたことを今でも覚えている。
彼女の口からお話を聴きたい。
レアルな記憶と実感をもちたい。
何処かの時間の共有によって。

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