去年の夏は?

ふと、そんなことを思って、見てみると、おおっそうだ!BASHARのことを書いてるではないか。
懐かしい、、、。
しかも、もう1年以上ここで書いてるんだなあ、という感慨にも少しばかり浸ってしまった。
このくらいの期間ブログを続けていると、意図せぬところで、いろいろトラブルというか珍事に遭遇する。
今思い出したのだが、わたしがBASHARについて書いたことで、大学の教授としての立場上、こんなブログにLINKなどしていたら品格を疑われるので、LINK外してくれという感じのメールをもらい、ブロとも解約された方がいたっけ。
どうやらチャネリングが引っかかっていたようだ。BASHARについてもそうか?
それに関心を持つ人間のブログと相互LINK関係にあることが他者に知れると、大学で肩身の狭い思いをするのか?
と思うと、思わず腹を抱えて笑ってしまった。
しかしその方には何の文句もない。
ブロともとかいう訳の分からないものについては、全く任意のものであり、自分の気持ち次第である。
自分にとって相手がそぐわない、と思ったら離れる、というのは全く正しい。
自分の意に反して、ブロとも続けていたり、商売のためにブロとも申請してきたり(これは結構いて、それとはっきり分かる)そんな者たちより、ずっと率直で好感持てる。
しかしチャネリングやBASHARはそんなに、如何わしいものなのか?
それまで、世間的にどう認知されてるかなど微塵も考慮せず、面白いものを片っ端から見たいと思ってあたってきたわたしとしては、このような反応には大変奇異な印象を受けたのは事実だ。
それに、それまでもっとアカデミズムから遠く外れた内容もしこたま書いていたのに、やはりチャネリングとかBASHARという単語に反応してきているらしい。
コンテクストなどともかく、それらの言葉の実体化をして。
忌諱すべき名称の一つに触れたというのか?
まあ、わたしもチャネリングの紹介という立場で、そこに交わされたBASHARとの対話の内容を重く見ていることは確かで、賛同者のひとりであることに間違いない。そのまま、無反省に驚いている。ただ面白くて楽しんでいる。
それを察して、私の正体が見えた、と思ったのか。
ちょっと魔女裁判みたいで面白い。
わたしは、何に接してもはっきりツマラナイと思ったもの以外はすべてまずそのまま受け入れる。
それから自分のフィルターを通し、そこで引っかかたものを日常ー実存を通しゆっくり濾過してゆく。
そこで、自分が身軽になってゆけば、それはよい知識だったと思う。
そんなところか。
しかし役職上、情報をうんと規制されるというのも堅苦しいもんだな。
周りはするとガラス張りだ。自意識で充満し、気象異常がこりゃ進むな。
情報への接し方がいろいろあってもいいじゃないか、未知のもの異質のものへの感覚とか自由な発想とか創造云々言うつもりなど端からないが。
単につまらない世界もあるものだ、とは心底思った。
他者を締め出した世界などで、そもそも息ができるのか?
というところだ。
わたしとしても離れてもらって清々した(笑
とは言え、離れてもらいたくない方もはっきりいる。
本当に世の中、何が在るか分からない。
災害に近い現象もある。
そう、実際災害は起こる。
はっきり他者は存在する。
しかしネガティブなものに足を取られ流されてはいけない。
決して動かない岩になろうと。
( to be a rock and not to roll )
そうして待てばよい。

にほんブログ村

- 関連記事