霊的なもの

昨日はまる1日、叔父のお通夜関係で、他のことは何もできなかった。
ブログも帰ってから書くのは無理であった。お休みにした。それは、二つの理由から。
思いの他道が混んで、車が進まず、当地までの時間が思いの他掛かってしまった。
しかもお寺の広い駐車場がすでにいっぱいになっており、停めるところを探すのに戸惑った。
結局、少し離れた急斜面のものすごく狭い道幅の坂を登りきった、小高い丘の上にある広場?のようなところが仮の駐車場として押さえられていることが分かった。
なんということだ。と思いつつ、エンジンを吹かし登りきると、そこもあと少しで止められない状況に来ていた。
一体何人押し寄せてきたのか?
どっと疲れが押し寄せてきたのか、車を前に寄せ、バックで空いたスペースに入れようと思ったとき、誤ってアクセルを踏んでしまった。車はそのまま前方の低い塀にフロントノーズをこすりつけた。少なくともその音はした。
よくこの手の話を聞くたびに、自分には全く無関係の事と聞き流していたのだが。
まさか自分がやるとは、、、。
バックで車を入れ、すぐに車を飛び出して、あわててフロント周りを確認した。
すると、あれだけ前に飛び出し、塀に少し斜めに擦りつけたはずの部分がなんでもなかった。
その音も聞こえたのに、かすり傷一つ見つからない。
見つからないのだ。
そのままきつねにつままれた気分で、お寺に戻り記帳を済ませ、住職のお経を聞き、線香をあげ一通りの法要を済ませた。食事を摂りながら暫くあっていなかった叔父、叔母、甥や姪、従兄弟などととりとめもないことを喋り、親戚の一人が挨拶をして席を立ったところで、わたしもそれに続いて出ることにした。
帰りがけにまた車のフロント付近を眺めたが何もそれらしき傷や凹みは見つからなかった。
生前、その叔父は何についてもわたしによくしてくれた。
遠路はるばる葬儀に来た甥に対し、粋な計らいをしてくれたのだろうか?
とぼんやり思った。その他にこれといって考えようがなかった。塀も確認してみたが、はっきりその場所も特定できなかった。
一瞬のことである。やはり事故は、事故として起こる。気持ちも動転した。
もしかしたら、わたしの感覚の問題で、本当は急ブレーキによる地面との音で、何かに接触した音ではなかったかも知れない。しかしそう思うことの方にわたしは無理を感じる。砂利の軋む音ではなく、ボッコという軽くぶつかる感覚の音であったからだ。
以前わたしは急に飛び出て来た自転車がフロントに少し触れたかどうか、というところで急停車したことがあったが、ご婦人は「大丈夫」を繰り返しさっさと普通に自転車に乗って走り去ったが、こっちのバンパーにはしっかり傷がついていたことがある。その部分は気になり、後日トヨタで直す羽目になった。
その時と比べるとかなりの破損かと覚悟していたのだが、、、やはり通常の出来事ではない。
あの時だけそれまでの時間流を飛び越えた気がした、とも喉まで出かかっているのだが、瞬間的に何かがあった時の気持ちとはみなそんなものだろう。
気にはなったが、まあよいことにした。
疲れた。
それから、今回のことはまだしっかり腑に落ちないし、書けない。
今朝早々と、トヨタの担当の人から電話が入った。「お車の調子いかがですか?9月は定期点検が入っています。日時をまたお知らせください。」
「はい、おかげさまで、特に問題ないです。日時は後日決めてから電話します。」
まあ、わからなくともよいことにした。
そのままここに書こう。
と、いうことで、、、。

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