蝉の音

松尾芭蕉の『奥の細道』に「閑さや岩にしみ入る蝉の声」がある。
あまりに有名だ。
知らぬ人はまずいないだろう。
深い木立の中で鳴く何種類もの蝉の声を流しているYouTubeのビデオもよくみかける。
あえて聞こうとは思わぬが。
そう言えばセミは羽化する。
あれを見てしまうと、やはり外骨格。われわれとの接点などあるものか、と思ってしまう。
他者という以外の何者でもない。
異星人や地底人の方が親しみがありそうに思う。
これはさておき、蝉が啼く。
夕方になってもなおも、蝉の鳴き声が止まない。
一向に止む気配がない。
厚く響き渡る。
一定時間、音が壁のような抵抗となって持続し、途切れたかと思うとほんの少し趣の異なる次が確かな強度で、続く。
一定数のグループが順番に啼いてリレーしているようにも窺える。
その空間の隙間を強迫的に埋め尽くそうとする稠密な音。
神経症の響きだ。
わたしを殊更に居た堪れなくさせる。
岩に染み入る、、、とはよく詠ったものだ。
これは単に観測の問題か?
何時しか啼き声であることが曖昧になる。
とは言え、何か他の音になるわけではない。単に名状し難い音の厚みとなる。
そしてわたしたちには同調し難いリズム。
反復が永劫に続くのではないかという不安を高まらせながら。
長い吐息、風、波、、、。
自然の露呈。
クーラーの効いた部屋の窓越しに揺らぐ湿気を含んだ残酷な熱射の光景に交る音。
決して近づけない異物であり他者の音。
この、感覚の錯乱。
周りの空間は占拠された。
夏の宵を埋め尽くす圧倒する自然。
そうこれは夏の自然だ。寄る辺ない冷気の窓の外に見る残酷な光景。
これに単調に上がる花火などが加わればもう究極の孤絶である。
この部屋はエントロピーの舞台となる。

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