信じることの揺らぎ
実に人間の精神は繊細極まりない。
自分を省みても、本当に些細な言葉でスッと楽になったり、ちょっとした言葉の端に深く沈んだり、、、。
意識とはそういうものではないか?
さらに自分が傷つくならそれだけのものだが、尊敬するヒトを思わず傷つけてしまったときの悔恨と戸惑いはそんなものではない。
ひとつ気づくのは、われわれはテクノロジーにかなり翻弄されていること。
やはりSNSとかで顔・人格・身体として関わらず、身体性の欠けた言葉(しかしことばは大きいものだ)だけで関わっていることは、危うい。
ひとつテクノロジー上の事故があると、それがおおきなメッセージと化して言葉の関係を凌駕してしまう面がある。
モバイルガジェットなどが深くヒトの身体と化してしまっており、その動きが便利な反面とんでもなく融通が利かない。
デジタルの悪い面が時に際立つ。
われわれの関係までon/offにしてしまう。
これは紛れもないITデヴァイスの身体化により始めて可能となるはずのものだ。
ローテックなもののアナログ性がヒトには大変優しく作用することはもっと注視してもらいたい。
本は未だに紙の本の方が読書においては、あらゆる面で優れている。
とは言え、わたしはタブレットで本の読書経験を凌ぐものが出ることを願っている。
斜め読み(飛躍的ページ移動)や複数同時に閲覧出来るような自在性を持つものだ。
美しい質感を持った表紙は当然必須だ。カラーは極限まで出せるようにしてもらいたい。
帯も無ければ納得しない人もいるはずだ。
しかし開発側は確実に努力している。
かえって今の普通の書店こそつまらない。
良いデヴァイスの開発こそを願う。
そのためにも十分、ローテックの良さを吸収してもらいたい。
いずれにせよ、本そのものが存続するかしないかはともかく、ITデジタルデヴァイスの拡大はさらに加速することは間違えのない事実である以上、そちらがアナログのよい部分を取り込んで統合してもらうことを期待したい。
そのへんから身体性がまた変わってくると思われる。
きっと信じられることばが帰ってくる。
もっと優しくゆったりした関係が生まれてくる。

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自分を省みても、本当に些細な言葉でスッと楽になったり、ちょっとした言葉の端に深く沈んだり、、、。
意識とはそういうものではないか?
さらに自分が傷つくならそれだけのものだが、尊敬するヒトを思わず傷つけてしまったときの悔恨と戸惑いはそんなものではない。
ひとつ気づくのは、われわれはテクノロジーにかなり翻弄されていること。
やはりSNSとかで顔・人格・身体として関わらず、身体性の欠けた言葉(しかしことばは大きいものだ)だけで関わっていることは、危うい。
ひとつテクノロジー上の事故があると、それがおおきなメッセージと化して言葉の関係を凌駕してしまう面がある。
モバイルガジェットなどが深くヒトの身体と化してしまっており、その動きが便利な反面とんでもなく融通が利かない。
デジタルの悪い面が時に際立つ。
われわれの関係までon/offにしてしまう。
これは紛れもないITデヴァイスの身体化により始めて可能となるはずのものだ。
ローテックなもののアナログ性がヒトには大変優しく作用することはもっと注視してもらいたい。
本は未だに紙の本の方が読書においては、あらゆる面で優れている。
とは言え、わたしはタブレットで本の読書経験を凌ぐものが出ることを願っている。
斜め読み(飛躍的ページ移動)や複数同時に閲覧出来るような自在性を持つものだ。
美しい質感を持った表紙は当然必須だ。カラーは極限まで出せるようにしてもらいたい。
帯も無ければ納得しない人もいるはずだ。
しかし開発側は確実に努力している。
かえって今の普通の書店こそつまらない。
良いデヴァイスの開発こそを願う。
そのためにも十分、ローテックの良さを吸収してもらいたい。
いずれにせよ、本そのものが存続するかしないかはともかく、ITデジタルデヴァイスの拡大はさらに加速することは間違えのない事実である以上、そちらがアナログのよい部分を取り込んで統合してもらうことを期待したい。
そのへんから身体性がまた変わってくると思われる。
きっと信じられることばが帰ってくる。
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