土偶の先鋭性~恐るべき縄文

一万六千年前の前衛。
もはや縄文を振り返るなんて古い?
いや、もともと古いなんてもんじゃない。
土偶を改めて観て、驚いた。
としか言い様がない。
美しい。
かの岡本太郎氏も舌を巻いた表現である。
最近国宝に指定されるものも増えている。
縄文の女神、縄文のビーナス、、、中空土偶、遮光器土偶
まるで、ザッキンの彫刻のように凹面と凸面を逆転したような表現。
極めて無駄のないシャープで研ぎ澄まされた面の流れ。
それでいてお尻はいかにもお尻を感じさせる。
かと思うとポテロのイデアのようなもの。
球体のみで構成されたのごとく。
とても自然に体育館座りをして和んでいる土偶。
まるでゆるキャラのような。
そして精緻な縄の目によって覆われる、生命に直接訴えかける文様。
その多彩・多様なパタン。
土偶は使用目的のある道具であったとされるが、何に使われていたのか?
何に対して使われていたのか?
よくある、豊穣のための祝祭的なアイテムとして?
危険を回避するための呪物として?
少なくとも今現在においては前衛造形である。
意味がはっきりすれば、新しいコードであり源コードである。
どうだろう?
精霊の意味。その気配のことば。
顔のない顔。顔を超えた顔。
イメージと造形の繋がり具合は。
土偶のデザインは、そのまま今の馴染んでいる様々な形態に共鳴していくフォルムーイメージも確かにもっている。
とは言え。
普遍と真実。
今一番口に出せない言葉。
この言葉とイメージそしてものとの関係が破壊された世界において
それらの言葉に
どれだけの蘇生力が戻るだろう?
土偶の過激な抽象性に関わってみたいという気持ちが沸いている。
勿論、自分の蘇生のために。
改めて、生きるために。
Exileとして不可避的に生きて、結局何も出来ないでいる。
それを自覚的に切返すコンセプチュアル・アートを考えてみたい。
すでに河原温がやり尽くしているとして、、、
こちらからの個々の場所はどう戻すのか?
いや全く新たな場所であって良い。
まずは、わたし(われわれ)に欲しいのは生命力だ!

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