デパート空間

特に何が欲しいということでもないのだが、家にいるのが煮詰まり、家族でデパートに行った。
デパートは、浴衣姿の女性、お子様がそこそこいた。
なかは勿論、丁度良い按配に涼しいのだけれど、やはり夏の季節感で統一されていた。
よく写真集などで、夏を扱っていてそこを構成する事物はすべて夏なのに全く温度感のない写真がある。
その逆照射の如くにこのカラフルで大きな密閉空間そのものが、温度を感じない夏のセールの場所であった。
水着や浴衣、クールビズ関係のスーツや靴、バッグ類、寝具類などなど、、、。
先ほど紋きり型にカラフルでと書いたが、色はあるのだが、今ひとつ彩度に乏しい。
彩度が今ひとつな分、明度が高く設定されている。
だから尚更彩度が低まる。
こういう経験は、元気のない、客に見放された大手デパートなどに顕著であった。
どことは言わないが、昔からとても有名で、その土地のシンボル的なデパートが潰れて無くなるころなどそうだ。
無くなると決定し発表される頃はほとんど惜しいなどと思えぬ状況になっているものだ。
まず、従業員のサービス、品揃え、装飾性の低下も見られ、これでは仕方ないと思わせる魅力の低下が伺えているものだが、心理的にそれを強調する光の加減が感じられる。
今日行ったデパートなどは、その徴候はまだ見つからないのだが、実際の光の物理的な強弱というより心理的な強度といえるものかも知れないが、パッとしない現状維持で取り敢えずやり過ごそうというような雰囲気が、光の薄さに出ているような気がした。(単にすべてをLEDに変えたからというようなレベルの問題かもしれぬが)
客が少ないというわけでもないが、いやかつてよりは少ない。
4時の土曜日にしては。
元気がないとか、全体として何らかのやり方が特にまずいとか病んでいるというものでもないと思うが。
今日はわざとゲームコーナーには行かなかったのだが。
普通の店内の賑やかさがあまりなく、詰まらなさを感じるのだ。
出来ればここで空間アドヴァイザーなどという人々には出てきて欲しくない。
そういう問題ではない。
空間には結果的に最後に反映してきているだけのことだから。
のっぺらぼうな空間というのがある。
そんな感じだ。
音がいろいろしてきても、いろいろなCM広告が貼られていても。
ひとつこれはないなと思ったことは、見本のないすっきりしたタイプの自販機が所々に置かれているのだが、中の飲み物の種類が恐ろしく乏しい。
デパートにある飲み物中心のショップへの配慮でワザとそうしてあるのか知らないが、大変物足りなさを感じた。
そういう目で改めて店内を見てみると「つまらなさ」が充満していた。
ここに、少し買い物客が休めるシートがあれば良いのにとか、、、。
かつて結構どこでも客を集めていた、昭和の駄菓子屋風の雑貨屋がさほどの品も値段にしても惹き付ける磁力が無いにもかかわらず、店内の写真を撮らないでという注意書きの紙が何枚も貼られていたり。
何割引という貼り紙にも何のインパクトもない。
装飾にも代り映えがない。
アロマや、ラッシュのような店の香りが向こうから爽やかに吹いてくることもなかった。
そう、妙に風がない。
これは空間管理上の進歩なのか?
よく分からないが、今日は特に欲しいものもなく、目玉商品売り場も魅力がなく、折角来たので何か買っていこうという何時もの購買欲も出ずに、ほんの些細な日用品のみ買って帰ることにした。
近所のお店で買えるようなものだけである。
店に入ってからの客個人のストーリーが作れなかった、というものか?
確かに強い動機を持たずに来たものだから。
出る頃気づいたが、一階に空いているブースがあった。
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