河原温81歳でニューヨークで亡くなる 河原温について (序
そう遠くないうちに、河原温について改めて書くつもりです。
いま全くと言ってよいほど彼について書く用意がありませんので。
ともかく、日付。最低限の数字と記号ですね。
凄いところに着目しました。
浴室シリーズが今も鮮明に脳裏に残る画家である。
鉛筆ドローイングによる一目で彼の物と分かる作品である。
あの独特な閉鎖空間での身体像は強烈だった。
不安。なんとも言えない不安で切迫した寄る辺ない印象であった。
それは、描かれた人物たちには即物的な物質性しか残っておらず、それを観るわたしの不安の充満であった。
切断された死体や体の部分も転がっていた。
何故、浴室なのか。人間存在の危うさとモノ自体の姿をもっとも有効に描きだせる場であるのか?
特に、タイルの浴室である。処刑室のようにも見える。
よく確認したいのだが、今すぐにその画集が探し出せない。
戦時中の体験もきっと絡んでいると思われる。
コンセプチュアルアート開始から、自身の姿を恐らく消す、精確に言えば影だけ残す必要が生じたのだろう。
彼自身一切メディアに姿を見せず、自身についても作品についても何も語らぬ画家となる。
そこは徹底しており、それも彼の表現活動の一環であることはまちがいない。
メキシコでの活動も謎に包まれている。
はっきりとコンセプチュアルアートとして全世界的なアーティストとなるのは、”日付け絵画”からか。
それまでの具象絵画は白紙にしたものだ。(その頃の作品を自ら破棄したという話もある)
人間の存在における時空を扱ったものという。
単色で塗られた地に日付けが単一書体でレタリングされる。
彼によって絶対的制作ルールが決められており、基本的に1日に1枚を制作して、箱に入れて保管して行くようだ。
その日のうちに制作が間に合わなかった時は、その日の日付け絵画は存在しない。
描かれた国の言語で描かれ、国によってはエスペラントで描かれる必要のあるものもあるそうだ。
日付けそのものは、客観的なものだが、自分の誕生日だったりすると、特別な意味を纏うという。
彼の心的な状況によっても微妙な影響が現れるらしい。
わたしにとって特別な日とか、そのような記念日を作りたいという意思はまるでない。が、そのような行為は面白い。
存在する日と存在しない日があるというのも何とも言えない。
何とも言えないが、あっても全くおかしくない。
”One Million Years”という過去と未来それぞれ百万年の年号をタイプした作品もあり、これをすべて読むのは人間には無理だ。実際にキャスターが少しばかり朗読したという記録はある。
よく彼はデュシャンやウォーホール達と比較されるそうだがデュシャンは分かるが、マレービッチなどに近いヒトだと思う。思想や制作理念が同じというのでは無く、徹底した制作姿勢の頑固さというか。
その後、”I am still alive”を世界各国から発信するという制作行為を始める。誰に発信していたのか?
”I Got Up”シリーズも彼が起床した時刻だけを記した葉書を特定の人物に送り続けた。
Twitterによる発信も行なっていたという。わたしは知らないが。
訃報もTwitterで広まったそうだ。
彼は非常に知名度の高い国際的な画家であるが、わたしは初期の浴室シリーズなどの絵が特に好きである。
というのも、ほとんど彼の創作活動・コンセプチュアルアートについて知らないからである。
知っているものについてしか語れない。葉書も観たことない。
初期の画集にある絵だけが、取りあえずわたしにとっての、河原温である。
しかしその初期の絵のインパクトは絶大であったので、取りあえずここで彼の死を取り上げることにした。
詩人平出隆の著になる、「言語としての河原温」というメールアートと言うか、河原温論も出ております。
平出さんは「胡桃の戦意のために」以来のファンですが、多摩美の教授をされていたのですね。
いま全くと言ってよいほど彼について書く用意がありませんので。
ともかく、日付。最低限の数字と記号ですね。
凄いところに着目しました。
浴室シリーズが今も鮮明に脳裏に残る画家である。
鉛筆ドローイングによる一目で彼の物と分かる作品である。
あの独特な閉鎖空間での身体像は強烈だった。
不安。なんとも言えない不安で切迫した寄る辺ない印象であった。
それは、描かれた人物たちには即物的な物質性しか残っておらず、それを観るわたしの不安の充満であった。
切断された死体や体の部分も転がっていた。
何故、浴室なのか。人間存在の危うさとモノ自体の姿をもっとも有効に描きだせる場であるのか?
特に、タイルの浴室である。処刑室のようにも見える。
よく確認したいのだが、今すぐにその画集が探し出せない。
戦時中の体験もきっと絡んでいると思われる。
コンセプチュアルアート開始から、自身の姿を恐らく消す、精確に言えば影だけ残す必要が生じたのだろう。
彼自身一切メディアに姿を見せず、自身についても作品についても何も語らぬ画家となる。
そこは徹底しており、それも彼の表現活動の一環であることはまちがいない。
メキシコでの活動も謎に包まれている。
はっきりとコンセプチュアルアートとして全世界的なアーティストとなるのは、”日付け絵画”からか。
それまでの具象絵画は白紙にしたものだ。(その頃の作品を自ら破棄したという話もある)
人間の存在における時空を扱ったものという。
単色で塗られた地に日付けが単一書体でレタリングされる。
彼によって絶対的制作ルールが決められており、基本的に1日に1枚を制作して、箱に入れて保管して行くようだ。
その日のうちに制作が間に合わなかった時は、その日の日付け絵画は存在しない。
描かれた国の言語で描かれ、国によってはエスペラントで描かれる必要のあるものもあるそうだ。
日付けそのものは、客観的なものだが、自分の誕生日だったりすると、特別な意味を纏うという。
彼の心的な状況によっても微妙な影響が現れるらしい。
わたしにとって特別な日とか、そのような記念日を作りたいという意思はまるでない。が、そのような行為は面白い。
存在する日と存在しない日があるというのも何とも言えない。
何とも言えないが、あっても全くおかしくない。
”One Million Years”という過去と未来それぞれ百万年の年号をタイプした作品もあり、これをすべて読むのは人間には無理だ。実際にキャスターが少しばかり朗読したという記録はある。
よく彼はデュシャンやウォーホール達と比較されるそうだがデュシャンは分かるが、マレービッチなどに近いヒトだと思う。思想や制作理念が同じというのでは無く、徹底した制作姿勢の頑固さというか。
その後、”I am still alive”を世界各国から発信するという制作行為を始める。誰に発信していたのか?
”I Got Up”シリーズも彼が起床した時刻だけを記した葉書を特定の人物に送り続けた。
Twitterによる発信も行なっていたという。わたしは知らないが。
訃報もTwitterで広まったそうだ。
彼は非常に知名度の高い国際的な画家であるが、わたしは初期の浴室シリーズなどの絵が特に好きである。
というのも、ほとんど彼の創作活動・コンセプチュアルアートについて知らないからである。
知っているものについてしか語れない。葉書も観たことない。
初期の画集にある絵だけが、取りあえずわたしにとっての、河原温である。
しかしその初期の絵のインパクトは絶大であったので、取りあえずここで彼の死を取り上げることにした。
詩人平出隆の著になる、「言語としての河原温」というメールアートと言うか、河原温論も出ております。
平出さんは「胡桃の戦意のために」以来のファンですが、多摩美の教授をされていたのですね。
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