真夏の夜の病

自分を自分として束ねる装置が緩み始める。
いくつかの意識層と無意識的な領域、例えば植物的な生命の層の時間性―身体性が軋んでいる。
普通なら、適応障害とか自立神経失調症とか言われるところか?
心療内科を勧められそうである。
しかし、人間を統合的に診ていくということ自体生半可なものではない。
何となく方向性が朧げに見えてきたとしても、それでどうなるものではない。
眠れない。
多分、社会との関係を心理面で追う程度のものか?
よく人間ドックでも心理チェック?のような白痴的テストを受けさせられることがある。
というか、必ずやらされる。
あれで何がどう分かるとでも言うのか?
バカバカしいの一言。
まずもって、テストの体をなしていない。
だが、統合は肝心だ。
本当の意味での。
そうでないと、まとまったことが考えられない。
存在自体としての。
このへんどうであるのか。
散り散りでは雲丹のようになってしまう。
彼は?それぞれが別々で動いているらしい。
構成体の意思がバラバラでは、雲丹という総体は意味をなさない。
力学的に相殺されつつ全体の動きが結果的に出ているのか?
面白いといえばそうでもあるが。
かつては精神科医でその辺を研究していた弟とメールやり取り出来たのだが、
最近は全く没交渉になってしまった。
お互いの忙しさはある。
が、なんというか、落ち着いたやり取りができない状況というのが一番あたっている。
わたしは自分宛に来たメールの99%は開かずに消去しているし。
このブログに頂いたコメントとメッセージ以外は見ていないことに今気づいた。
暫く、それでいこう。
充分かも知れない。
最近、イージーミス?が目立ちます。
明らかな表記の間違い。特に名詞。
それから、まだ何も書いていないうちにアップしてしまうご操作?
fc2ブログに直接書いていて、ほぼ100%書けたところで、飛んでしまい意気消沈した記事を数回書いていること。
重ね重ねすみません。
ついこの間も、映画に絡む思い出~ で、”ふたりのベロニカ”をダニエラという女と間違えて書き込んでおりました。
こうも違う映画をよく取り違えたものだ、とお思いの方はいらっしゃるはずですが、私の中でどうも邦題の雰囲気が微妙に近いもののようでした。よくわかりませんが。ふたりのベロニカは非常に感覚的に合う映画なのですが、ダニエラの方は、感覚的にほとんど受け付けないタイプのもので(特に女優が)、私としても何ということだと呆れ返っています。
もう少し余裕を持って何事にも臨んでいきたいと考えておりますので、これらに懲りず今後共どうか宜しくお願いいたします。
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