ラウルデュフィを観て~bunkamura渋谷

「物の輪郭より色を感じとり、色の印象がより長く心にとどまる」
こうラウルデュフィは述べているそうだ。
日本ではありえない言葉だ。
やはりフランスだ。
ニースだ。
海か。
静物画も同様だ。
溢れる色彩というのは本当だ。
色そのものがすでに”もの”になっている。
物質化している。
色が繋がる。色で繋がる。
あらゆるものと、、、。
歓びの色?
確かに苦渋の色はみつからない。歓び以外の色ではない。
些細な線で初めてそこに名前が見つかる。
形がわかる。
輪郭線はとりあえずの役はしているが、いつしかゆらゆら漂い出す。
線が装飾―揺らぎやリズムを生みだす。
描いているデュフィの楽しさも伝わる。
ワクワクと。
海という楽しさ。
そこに自然の恐怖はない。残酷さも。
青が綺麗だ。
様々な青が至る所に氾濫している。
明るく軽快で軟らかな青。
モーツァルトの軽快な調べに確かに合う。
フェルメールのラピスラズリではない、デュフィの青の発見。
彼はマチスの絵に出会い、新しい絵画の探求を始めたという。
それからというもの長い探求の旅が続き、、、。
海の刻々と変化する”青”の多様さを発見した。
そのためデュフィはフランス各地の海辺の絵が多い。
それから、コンサート会場。
ここでは“赤”が溢れる。
海辺とモーツァルト。
または、バッハ。
そして”赤”がある。
しかし、これも軽やかで優しい香に溢れている。
デュフィによれば、残像から自分の色を発見したそうだ。
その色は動きと雰囲気も伝える。
美術史家によれば「色彩を輪郭から解放し生命力と時を与えた」
解放された色は歓びに輝き生命そのものになった。
それは音楽となり、様々な色の煌めきとともに交響楽となる。
というところか。
さらに晩年に発見した”黒”。
黒を発見する画家は少なくない。
それが晩年に多いことも。
すべての色が混ざれば無彩色に行きつく。
勿論、”黒”にまではいたらない。
黒はさらに洗練された精神的な抽象である。
彼の黒も他の色のごとくに色であり、確かな彩度を感じる。
”ゲルニカ”の向こうを張った彼の”電気の精”とは、、、。
その答えは
「わたしの目は醜いものを消し去るように出来ている」
に収斂される。

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