大雨と強烈な日照り ~ その既視感

面白いと言えば、面白いのだが。
どうでもよいといえば、全くどうでもよい。
先日も突然のシャワー降雨にやられ、やっとのことで電車に乗り、降りたところで残酷なほどの陽の照りつけよう。
日焼けもかなりのもので、以前10日間ほど滞在した宮古島でのことを思い出す。
そこでは、曇天であっても30分の屋外での活動で腕に水膨れの火傷が出来てしまった。
恐るべきUVパワー!
おまけに、帰りの飛行機では、乗っている最中に両腕の瘡蓋風乾いた皮がサラサラと落ち葉のように落ちてきて座席に積ってしまった。何故か快感だった。客室乗務員も驚いていたが、何食わぬ顔で完全無視した。
そう言えば、スイカや南国フルーツがゴロゴロしていたっけ。
そればかりが脳裏を去来した。
つくづく暑いところへ飛行機で行き来してみると、電磁波と重力で世界は成り立っていることがわたしにも分かる。
そしてわれわれ(わたし)の肉体の脆弱さと、 何気ない日常もタイトロープ上の綱渡りでかろうじて生きているということを実感した。
ホントに僅かなバンドの間だけで揺れ動きつつ。
何処へ行こうが狭い範囲しか知ることは出来ない。
座禅しつつすべてを直覚するヒトもいるのだろう。
ともかく水平的な距離の問題では何かが分かるわけでは全く無い。
内省なしに突っ走ることは同じお地蔵さんのいる道を何周も飽きずに巡り続けることになるのだろう。
山岸凉子の漫画にそんなのあったな。
この場所にすべてがある。
ないとしたら、どこにもない。
それは間違いない。
それにしても天気というのは象徴的だ。
気にする類のことでは全くないことの。

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