”もののけ姫”を観て

1997年
宮崎駿監督・脚本
久石譲音楽
主題歌 米良美一「もののけ姫」
サン
アシタカ
モロの君
エボシ御前
ヤックル
カヤ
ナゴの守
乙事主
宮崎駿の作品は、それほど見てない。
風の谷のナウシカ、天空の城ラピュタ、となりのトトロ、魔女の宅急便、紅の豚、耳をすませば、、、とこれくらいか。
ああ、ハウルの動く城も観た。
でも、だんだん見なくなってきたような気がする。
”ラピュタ”がわたしにはいちばん体質に合っていて、次が”ナウシカ”か。
しかし最も感動したものは、”もののけ姫”だ。
これには圧倒的な重みがあった。
はじめに印象に残る場面(些細な)の断片を羅列する。
大きくまとめようとすると陳腐なものに収まりかねないし。
特に結論などあえて述べるものではないだろう。
カヤという娘に貰ったネックレスのお守りを、サンにここぞという場であげた(届けさせた)が、あれは純粋にサンの身を案じてのことだろうが、この時点でアシタカは、村ーエミシの里には帰れない。あの飾りは結婚の約束も秘めているようだ。
「君は森で、わたしはたたら場で生きよう。」もう彼が村に戻る気はないことがよく分かる。海外のひとになんで用が済んだ、呪いが解けたのに、自分の村に戻らないのか疑問を持つ人が多かったと聞く。
ハンセン病患者とともに生活し、先鋭的な武器を開発し(石火矢自体はエボシが明から持ち帰ったという)、誰の束縛も支配も受けず、自然をも支配下におき平等な共同体を打ち立てようというエボシは当時室町時代の人間としては際立った存在と言える。明らかに日本的な思想の持ち主ではない。
ビーフジャーキーのような乾燥肉をサンがアシタカに噛み砕いて口移しに食べさせるところなど、些細な場面だが非常にセンシティブで宿命的な2人の関係の進展を予告するところだ。勿論、2人の際立った主役と思しき者が現れれば自然とつながりが出来てしまうのを不可避的に予感してしまうものだが、この映画のディテールの精細な作りから必然的に生まれた際立ったシーンだと思われる。アシタカが涙を流すときサンは一瞬驚き、それをすべて受け入れ、また口移す。激しいダイナミックな戦闘場面と繊細な心理描写がより緊張感を増す。
森がダイナマイトで立て続けに爆破されイノシシたちが赤い火柱の中宙高く舞う場面や、アシタカとサン、エボシのそれぞれの熾烈な戦い、特になごの守の呪いを受けたアシタカの腕の怪力ぶり、犬神に乗り森を縦横に駆け回るサン、石火矢を完璧に使いこなす冷静沈着で勇敢なエボシという女性、乙箏主が壮絶な姿の崇り神になりつつ、最期の救いを求めてシシ神のいる湖に向かって来るところ、シシ神の透明になりダイダラボッチへと変幻し夜空高く伸びてゆく、あの吸い込まれるような幽玄で幻想的な姿、頭だけになってもエボシの腕を食いちぎるモロの執念(エボシ自身がよく知っていた運命的な刹那)、サンとアシタカが奪われたシシ神の首を取り戻すまでの息もつかさぬ戦いと最後に2人で共に首を捧げる姿、ここにもアシタカのサンへの気持ちが仕草と表情に表されている。
エボシとサンは両極の存在として屹立する。
エボシは化粧にも余念なく、唇は真っ赤な紅で染められている。
片やサンは頬に赤い模様が染められ。
両者の血塗られた戦いの宿命を象徴するかのようだ。
エボシは最後にみんなで力を合わせ良い村を作ろうというが、思想が変わったわけではあるまい。
アシタカはあくまでも中立の立場を貫くだろう。
共生を願い続け。
印象深いシーンは幾つもある。
しかし、最初にアシタカという青年(まだ少年か?)がいきなり、なごの守という崇り神から呪いを受ける。
サンは村を救うために投げ出された赤子である。モロによって犬神の娘として育てられた。
とてつもないものを彼らは背負わされる。
ここが物語の最大のポイントと言えるかも知れない。
宮崎駿自身も、「祝福されない生を受けた子供が主人公である必要があった」といった内容を述べている。
アシタカは「その呪いはいずれそなたを殺すだろう」と村の老巫女に宣告される。
まず初めに主人公が死を見据えて、呪いの激しい痛みとも戦いつつ旅立つことが、この世に生を受け誕生してくる子供たちに恐らく重ねて描いているものと考えられる。
環境との共生などという前に、命を問うなら死を前提に考えることは不可避である、というところから始まる。
ここに出てくる登場人物たちは皆、死を見据え、自らの中に(モロも含め)死を宿して生きている。
宮崎駿の映画の批評に空想世界の中だけで閉じてしまい自己充足しており、現実との接点を欠いている、という類のものが多く見られたが、この作品は日常現実にしっかり足を踏み下ろすための死が正面から描かれている。
生半可なヒューマニズム映画などより遥かに根源的な場所から生を描き出している。
その重量感がある。
アシタカは宿命であり不条理極まりない死を覚悟して戦うが、シシ神から”生きろ”というメッセージを受け、呪いは解ける。
ヤックルと師匠連のジコ坊、こだま等、魅惑的なキャラクターも多い。
それに何といっても考えられない豪華な声優陣である。
森繁久彌、美輪明宏、森光子、石田ゆり子、上条恒彦、、、。
そして、米良美一の唄。究極の美である。
最初から歴史に残る傑作を作るつもりであったことがよく納得できる。
この映画を最後に宮崎はフィルム撮影を辞めている。
最期のフィルム映画であった。
セルを何十万枚使ったことやら。
これまた命を削る作業だ。
これ以降コンピュータによるデジタル編集になったようだ。
