カミーユ・クロ―デル ~ Camille Claudel 狂気の美

Camille Claudel
1988年
フランス
ブリュノ・ニュイッテン監督・脚本
レーヌ=マリー・パリス(カミーユ・クロ―デルの孫)原作
イザベル・アジャーニ(製作)、、、 カミーユ・クロ―デル
ジェラール・ドパルデュー、、、オーギュスト・ロダン
マドレーヌ・ロバンソン
ロラン・グレヴィル
アラン・キュニー
カトリン・ブアマン
この映画こそ、イザベル・アジャーニ=カミーユ・クローデルの映像をつぶさに見て言葉以前の風景―ドラマをそれぞれで捉える作品だと思う。
捉え方や印象もヒトによりかなり異なるはず。
ただ、ここでイザベル・アジャーニはカミーユ・クローデルに成っていたことは確かだ。
”アラビアのロレンス”のピーター・オトゥールがトマス・エドワード・ロレンスに成っていたように。
やはり彼女はロダンとの関係で発狂してしまったと言えよう。
師弟関係とは言え、才能と才能のぶつかり合いである。
穏やかな生活は到底望めない。嫉妬と疑惑も尋常ではない形で膨らむ。
ここで話の筋書きなどしゃべっても意味もないことは言うまでもない。
だが、あえて言葉に出来そうな瑣末ことをいくつかとりあげてみる。
この映画は彼女の奔放で激しい愛憎と究極の美―造形を求める創造力が狂気へと収斂されてゆく姿が描かれている。
恋愛の試練とともに、
同時に作品を奪われる恐怖。
いや才能を奪われる恐怖か。
愛憎ともども抱いているロダンに対する被害妄想も高まる。
時代的な試練も小さくない。
彼女のような才能をもった女性への社会の偏見。
真っ直ぐな性格の彼女は至る所でぶつかる。
カミーユ・クローデルを演じるのはやはり、イザベル・アジャーニしかいない。
狂気と言ったら、ポゼッションでも圧倒的なものを魅せているが、こちらは徐々に重苦しく内在されていく狂気だ。
”ブラック・スワン”ナタリー・ポートマンの狂気にも近い。
しかし、ナタリーの緻密に練り上げられる迫りくる狂気の表現に対し、イザベルの方は突発的で激しく炸裂する狂気だ。
CG特殊効果の衝撃的サイコスリラー表現に対する重々しい苦悩と孤独を感情のうねりの昇まりで表す描写。
これを2時間半まったく弛むことない時間を成立させるのは、イザベルの演技の質に負うことは言うまでもない。
そして相手の男である。
ロダンも「もうやってられない」と逃げ、中途半端な姿勢を続け、結局とっとと去ってゆく。
「空虚を与えられただけ。3倍にして。」
「虫が中から身体を食べている、キャベツのように」となる、、、。
映画では大概、自閉的に籠って感情を失くした男は、快活で強く行動的な女性に癒され
女性の主役は優柔不断ば男に翻弄され去られ、大きく傷つく。
何故かこのパタンが多い。
カミーユ・クロ―デルも後者のパタンだ。
「天賦の才能は彼女を不幸にしただけだ。」(弟ポール・クロデール)
弟のポール・クロデールの孫娘レーヌ・マリー・パリスがカミーユの詳伝を手掛けそれを読んだイザベル・アジャーニが熱烈に映画化を望み、それを推し進めたという。
「わたしが破滅してゆくヒロインにたちに熱い共感を覚えるからです。カミーユは、美貌と才能に恵まれながら、様々試練に傷つき、やがて何もかも失って自滅してしまうのです。せれはまるで女優の運命のようだと思いました。」
アジャーニ自身こう述べている。
カミーユこそ有り余る才能と美貌に翻弄され自滅した女性の典型なのだろう。





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