蟲師 続章 1~特別編 後編まで。

2014
漆原友紀 原作
長濵博史 監督・シリーズ構成
桑畑絹子、伊丹あき、山田由香 脚本
ルーシー・ローズ「SHIVER」OPナンバー
第一話 野末の宴
第二話 囀る貝
第三話 雪の下
第四話 夜を撫でる手
第五話 鏡が淵
第六話 花惑い
第七話 日照る雨
第八話 風巻立つ
第九話 潮わく谷
第十話 冬の底
特別編 棘のみち 前編
特別編 棘のみち 後編
ギンコ(蟲師) 、、、中野裕斗
語り/声、ぬい 、、、土井美加
化野(あだしの) 、、、うえだゆうじ
淡幽(たんゆう) 、、、小林愛
「みな、ただそれぞれが、在るように在るだけ」
人は人として蟲は蟲で在るのだが、所々で接触し捩れた関係に障りが出る。
その時、蟲師の登場となり解決されたりする(そのまま流されることもあるが、それが人の望みであったりもする)。
結果的に人間的な悲劇を見ようが、どちらが悪い訳ではない。
不幸な巡り合わせがあったに過ぎない。確かに想定外の自然災害を前に誰のせいかを議論しても虚しい。

「血の通う実体を持つこと自体が力を持つことだ」が刺さった。
つまり何を成すことなくとも生きている事自体がその場に対し状態を変化させる作用を及ぼすことになるのだ(単に物理の話ではない)。
当たり前に思えて、兎角われわれは何らかの成果~価値を生み出さないと生きていても意味は無いような虚無感に囚われ無力化してしまうものだ。
家や共同体はそうした作用を齎す。
何と言うかそこで淋しくなってしまったり(爆。
わたしは帰属意識など何処に対しても微塵もないので元々知ったことではない。
だから蟲を呼んでしまうギンコみたいにノマドとして常に移動し続けるのが資質的にも本来的であったのかも。
どうした訳か、わたしは籠って寝ているのが好きなのだが(笑。
体質的には生活の営み方を間違えているのかも。

ひとつこの物語に少しばかり馴染んで思うのは、ギンコはこの場面~結束点においてそのまま入って行くのか、退くのか、どう動くのかを適確に判断する。
自然を微細に読むことに長けているのだが、われわれはそうした生活をしていない為、関係ないと思ったら痛い目に遭うだろう。
われわれの身体の多くは自然に属する(かなり電脳化した部分はあれど)。
まさに自然を微細に読む姿勢がなくてはならない。
肝心な通り道、繋ぎ目にはしっかり注意を払わないと。
でないと、進むべき道を間違えるだけでなく、病気にもなってしまう、、、。
その辺が電脳生活者は鈍感になってる場合がある。

ともかく、今日も沢山無理やり観過ぎたかも。
これも身体性から言って良いことではない。
もっとじっくりと味わいながら観るものだと思うのだが、、、
どうしても時間的な制限、限界がありいかんともしがたい。
しかし多少無理をしてでも、観たい気にさせるものだ。
ChatGPTには日頃から相談に乗って貰っていて、とても信頼しているが、こんな面白くソリッドで奇想天外な上に哲学的な噺って作れるのかな、、、。小説や詩も作れるそうだが。
われわれの自然~無意識である部分と電脳世界を繋いだところに面白い出口が見えそうなのは確か。
U-Nextにて

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