中国の植物学者の娘たち

Les Filles du botaniste
フランス、カナダ
2006
ダイ・シージエ 監督・脚本
ナディーヌ・ペロン 脚本
エリック・レヴィ 音楽
ギイ・デュフォー 撮影
ミレーヌ・ジャンパノイ、、、リー・ミン(植物学の実習生)
リー・シャオラン、、、チェン・アン(チェン教授の娘)
リン・トンフー、、、チェン教授(植物学者)
ワン・ウェイグワン、、、チェン・タン(アンの兄)
グエン・ニュー・クイン、、、孤児院の院長
あの圧倒的な傑作「春夏秋冬そして春」でもそうだが、絶景のなかを舟に乗っての移動が毎日の生活。
ここでも「植物園」に行くのに舟で移動していた。
買い物行くにもそう。新聞を買うにも。

そして、壮麗な湖面と空の対象のめくるめく景観に圧倒される。
その傍らでふたりの女性の秘め事が極めて危うく果敢ない美を灯す。
植物園の温室?が幻想的で怪しく官能的。
ふたりの女性もむせ返るような湿度と植物の放つ香に包まれ何ともエキゾチックで綺麗。

だが、そこはホントに危うい小さなシェルターに過ぎない。
外界は、男尊女卑の家父長制度などと謂うレベルではなく。
この植物学者のオヤジは、娘を一生自分の身の廻りの世話の為に買い殺しするつもりか。
そして実習生を見初めたにせよ、彼女の意志などお構いなく強引に息子の嫁にしようとする。
粗暴で感性も想像力も微塵もない野蛮な息子。
だが、娘~妹も兄と一緒になれば私達も一緒に暮らせるわね、と謂うのは余りに世間知らずで浅慮。
ミンは子供を無理やり作らされることになるし、兄もいつまでも兵に出ている訳でもないだろう。
向うで出世して呼ばれてしまうかもしれないし。退役したら地獄ではないか。
縁を切ってふたりで逃げるしか手は無いのは明らか。結婚は何れにせよ軽はずみであった。

しかし娘のアンも余りに長く、頑迷な父との二人暮らしが続き、共依存関係が成り立ってしまっていた。
単に封建的な家父長制から来る風習を超え、大変根深い相互の依存関係が成立しており、初めてこころのときめき踊る相手と巡り合ったにも関わらず、その勢いで手に手を取り逃避行という訳にはいかないのだ。
ここが厄介な所。
アンにとり父はまだともかく、植物園は命である。あの温室での薬物実験。あの湿った空間に充ちる麻薬のなかでの恍惚の眠り。
もしわたしでも、あの魅惑の環境はちょっと捨てられまい。この場こそ最大のネックであるか。
われわれは悉く身軽ではない。誰もが囚われ人なのだ。

しかしあのポンコツゴリラみたいな兄と結婚するくらいなら、、、
あのお寺に逃げ込んで、尼僧みたいな立場でふたりで共に生きるとか無理かなあ。
孤児院の院長を頼り、ふたりで仕事のできる場を作ってもらうとか。
その過程で植物実験施設も作れる可能性はあろう。
才能も知識もあるのに世間知らずで何ともこのふたり勿体ない。
囚われの身の悲劇だ。
もっともミンの方は、父が中国人、母がロシア人で、地震により両親を亡くして幼少時、唐山孤児院へ預けられたという。
この根無し草であることから、誰よりも帰属意識は希薄である。
敢えて言えば孤児院の院長に恩義を感じているくらい。
ミンに身を任せアンは植物園に見切りをつけふたりで逃げるべきであった。

父に隠れて温室の薬の煙の中で愛し合っているところを見咎められる。
当然、バレるのは時間の問題であろう。
ミンに刃物を持って、この魔物メ~と襲い掛かったところをアンに棒で打たれて昏倒。
このオヤジ普段、空威張りしている割にはダサい。
しかしここでふたりで夜逃げすることは出来なかった。
アンが、おとうさ~んと元に戻ってしまい、ふたりは裁判にかけられることに。
父は心臓病も抱えていた為に亡くなってしまったのだ。
裁判長はいとも容易く、人々を震撼させる自然に反した大罪が父を殺すこととなった、と述べ、判決を言い渡す。

極刑はない。何それ、と唖然である。
不自然って制度の方が遥かに不自然なのだ。
それに自然かどうかの問題ではない。
ミンは孤児院の院長に二人の灰を混ぜて湖に撒いてくれるように手紙を書き、例のお坊さんと共にそれが果たされた。
やはり寺に匿ってもらい、院長のところに泣きつけば何とかなったかも知れない。
勿体ない。
とても悲しいエンディングである。
U-Nextにて

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