ダークレイン

LOS PARECIDOS/THE SIMILARS
2015
メキシコ
イサーク・エスバン 監督・脚本
グスタフォ・サンチェス・パッラ
カサンドラ・シアンゲロッティ
フェルナンド・ベセリル
ウンベルト・ブスト
カルメン・ベアト
登場人物がバスステーションに閉じ込められているのだが、わたしとしては大きな駅という感じの空間だった。
どうでもよいが、人が10人くらい楽々過ごせる閉鎖空間である。
鍵がかかっていて外には出れないのだ。
バスはいつまでも来ない。雨の為に来れないらしい。
だが、タクシーに乗ってここにやって来た人はいる。
しかし、一旦入るとここを出ることが誰も出来ない。
外は大変な豪雨で、ラジオも異常気象と学生運動についてずっと放送をしていた。

異変がそこに生じる。
そこにいる人全員が髭を生やした同じ顔になってゆくのだ。
確かにホラーだ。嫌だ。そんなの。
女性まで髭面の男の顔になってしまうのだから絶望して顔をナイフで切って死んでしまうのも無理もない。
なんなのこれ。と思いつつ観てゆくと、ラジオの放送で雨によるウイルス汚染みたいなことを言っている。
雨が通常の水ではない特殊な液体なのだと。

自然に広がったウイルスによる病か、政府による極秘実験によるものか、そういうテロなのか、異星人の仕業なのか。
この中にそれを仕込んだ者がいるのでは、と誰もが疑心暗鬼となり不安と恐怖と焦燥から極めてヒステリックになってゆく。
そのやり取りが過剰に神経質で衝動的で粗暴なため、何だか小煩いだけの映画にも思えて来る。
だが、どうやら母に連れられてやって来た病弱を装った少年による仕業のようなのだ。
最初病気の少年かと思える様相であったが、それは単に少年の恐ろしい正体をカモフラージュするもので、その実体は、、、
何だか分からないが、母に昔読んでもらった漫画の世界に囚われており、その世界そのものに現実を変えてしまえる能力が発現しているらしい。
よく分からないが(笑。余りに荒唐無稽。こうした現象は誰の視点から描いているかに依存する場合もあるが。
つまりその人間の病的な幻覚の世界が描写されてる場合もある。

その少年のお気に入りの漫画は、異星人がやって来て人から欲しいものを取り上げて帰って行く。
その欲しいものは感情であって個性であるらしい。
それを奪われた為に、人は皆同じ顔になってしまう。
それが何で普通の髭面の男の顔なのかよく分からないが(観客にとって)、その場にいる人間がそれぞれどう見ているのか~主観なんて原理的に分かり様がない。但し同じ顔になってしまっているのは、間違いないようだ。
皆が髭面の男の顔になってしまったと絶望している。
そりゃ女性にとってはショックだわ。

面白いのは、事務室に貼ってあるピンナップや雑誌の全ての顔が、その髭面の男にすげ代わっているのだ。
マリリンモンローも顔はそれなのだ。こちらはどういう顔で観ていれば良いのかと言いたくもなる。
ただ単に趣味の悪い悪戯にしか見えない。
ともかくグロテスクでキッチュ。
何なのこれ、状態であり真面目に緊迫した状況でありながら、ダレても来る。
このズレたコメディ要素が微妙なホラーである。

更にこの悪質な子供も「奴らに操られている!」とか嘯いているのだ。
奴らって誰だよ。それこそ異星人か。その正体は分からず仕舞い。
豪雨の外では狂犬が何度も吠えてはガラスの扉にぶち当たって来る。
皆が神経をやられ限界に来ている。
そこで、少年に操られ一人の男が最初からウイルスを持ち込んだと疑われていた男を撃ち殺す。
だが、死んだ男の持ち物を確認すると写真もその男の顔とは違い、彼が最初の犠牲者であったことが判明する。
写真も同じ顔であったものが元に戻っていた。
皆、同じ顔だということが忘却されると違う顔に見えて来るらしい。
さっぱり何言ってるのか分からんが。個性を失ったことに気付かないとかいう状況を言っているのか。
最後に外から飛び込んで来た車は何だったのか。人を轢いただけか。
人面犬までついでにやって来て何だったのか。

普通の光景になり翌日か、医学部の学生とその子供と母以外は皆死んだみたいであった。警察が学生運動のせいにしようとしていた。
その少年はまた何かを企んでいる笑みを零している、、、。
一言で謂えば、変な映画。
少年が気持ち悪かった。
それだけ。
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