愛と闇の物語

A TALE OF LOVE AND DARKNESS
2021
イスラエル、アメリカ
ナタリー・ポートマン 監督・脚本
アモス・オズ 原作
ニコラス・ブリテル音楽
ナタリー・ポートマン、、、ファニア(母)
ギラッド・カハナ、、、アリー(父)
アミール・テスラー、、、アモス(息子)
ナタリー・ポートマン 監督・脚本とあっては、観ない訳にはいかない(笑。
1945年。少年アモス(原作者)と現在の彼の独白~ナレーションが時折入る。
英国統治下のエルサレムが舞台。
音楽が良かった。ピアノ曲、何度か聴き直したい。
邦題は直訳であった。良いと思う。

しかし難しい映画作ったねえ~(苦。言語も、英語、ヘブライ語、アラブ語が入り混じる、、、字幕が無ければワケわからん。
この人インテリだから、自分で作るとなると、こうなっちゃうのね。
ヨーロッパにおいて、4世紀にキリスト教教会が勝利した後、反ユダヤ主義は様々な形で断絶することなく続いている。
しかし歴史の教科書を見れば、セレウコス朝シリアのアンティオコス4世が紀元前2世紀に、エジプトのプトレマイオス朝を倒して、ユダヤ人を弾圧支配するが、彼はユダヤ種を根絶やしにせねばならぬと言っていたとか。ヒトラーより随分早い。
民族的に、宗教的に、人種的にずっと迫害、弾圧の対象となり続ける身とはどんなものなのか。
無宗教空間に生まれた事だけは、取り敢えずホッとしてはいる。八百万の神がいるではないか、と謂われそうだが、わたしにとっては無いも同じ。いい加減で融通が利くのでとても助かる。多様性とか高尚なものではなく、何でもよいというところが(爆。
何よりも一神教が問題なのよ。それで血で血を洗う戦争を彼らは絶えず続けて来たのだから。
勿論、様々な形の「信仰」があるのは、言うまでもない。
例えば無理数の発見をしてしまったヒッパソスがピタゴラス教団により処刑されたのは有名である。
教団は宇宙を構成する数は、調和した比を保っているという「真理」を掲げており、それを根底から揺るがす数学的発見は、即ち死を意味した、みたい(怖。ホラーだ。

この宗教脳とは、何なのかね。自らの宗派の教義は唯一絶対であり、他宗派~異なる論理体系は皆滅ぶべき悪であり、神聖なるわれらが宗教のもとでは敵に対するどんな殺戮も讃えられる。
この論理~正義で全て行われたら堪ったものではない。命が幾つあっても足りない。
アホな自分の正義を振り回す糞バカは、ここら辺にも幾らでもいるが、やはり激しい殺意は覚えるね。
(断じて許せないバカもハッキリいるし)。
これが民族の歴史的な根深い憎悪であるならば、解消など断じてあり得まい。
反ユダヤ主義という形~事態で識別されるのは、やはりキリスト教をヨーロッパ諸国が受け入れたところからか。
しかし何故、ここまでユダヤが激しい憎しみの対象とされるのか、生粋の日本人のわたしにはどうも分からない。
(うちの近所にも、こんなところにと驚くような場所にも教会はあり、その数は実際かなりのものだ。彼らも皆、反ユダヤなのかしら)。

結局、何を信じてきたにせよ、どの宗派のもとで生まれてしまったにせよ、その個人~人間が個としてどう捉え直すかの問題だと思う。
生きる過程~事とは、そうしたもののはず。絶えず前提を覆して異なるモノへと進展してゆく。
誰もタブララサで生まれて来る訳ではない。
子宮にいる時から胎児は母親のことばを聴いて育っている。
生まれ出るとは、特定の枠に幾重にも嵌められる運命を受け容れることに他ならない。
そしてその枠に成形されてゆくに応じて成長したとか周囲から評価される。
立派な宗教者となり異教徒を立派に殺戮しに行く。
だが、違う生き方も選択できる。

物語は、ユダヤ民族国家への取り組みは少しずつ進んではいたが(テオドール・ヘルツル~バーゼルにおける世界シオニスト会議)、ついにパレスチナに彼等の為の国家を建設すると決議される。
彼らに国家を与えるべきだというのは真っ当な理屈に思える。
とは言え、すんなりと事が運んだわけではなく、アラブ先住民の土地没収、労働機会の奪い合いも生じた。
この映画でも強く訴えられているように上からの抑圧とは異なる、同じ立場の弱い者同士の対立の激化を呼んだ。
元々アラブはシオニズムに対し共感と理解を寄せていたにも関わらず(飽くまでも知識層と指導者の立場からだが)。
この対立にイギリスがビビった様子も描かれている(笑。

そして何とも呆気なく、(彼等にはそう感じられたらしい。少なくともアモスたちにとり)イギリス委任統治終了の翌日に、イスラエル国家樹立である。
もうずっと(紀元前から)彷徨い続けて来た彼等である。何であろうがまずは歓喜の渦に、、、とはいかなかった、、、ようだ。
余りに永い時を待ち続けて来たからか、このまさかの展開に「何千年も故郷を求め続けたユダヤ人の熱意が、燃え尽きた。」という。
過酷な試練に耐え続けて来た強靭な民族であり知性も非常に高い彼等であるが、、、。
もう無気力に呆然としてしまって、、、でも分かる気がする。
そういうものだと。

アモスの母であるファニアは片頭痛に長年苦しめられてきたが、この頃は食事も喉を通らなくなり、実家に戻り療養していたが症状は悪化するばかりで、真夜中に雨の中ずぶ濡れで座り込んでいて、、、
父息子のもとに緊急の知らせが届く。
40代で母は亡くなってしまった。
今息子はその時の母の祖父くらいの年齢に達している。
想像力豊かでいつも自分の作った物語を息子に語って聞かせてくれるとても魅力的な母であった。
その母との何とも言えない関係性を激動の時代背景の中で描いた作品と謂えるか、、、。
音楽が良かった。
現在、彼が作家なのは多分に母からの影響(遺伝子的にも)であろう。

ナタリー・ポートマンの実に抑制の利いた静謐で病的な狂気を秘めた演技を堪能した。
まあ、自分のルーツから言っても経験的に共感は難しいが、一般的な(哲学的な)領域に広げると理解は出来る噺である。
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