5月の花嫁学校

LA BONNE EPOUSE/HOW TO BE A GOOD WIFE
2021
フランス
マルタン・プロヴォ 監督・脚本
セヴリーヌ・ウェルバ 脚本
グレゴワール・エッツェル 音楽
ジュリエット・ビノシュ、、、ポーレット(家政学校校長)
ノエミ・リヴォウスキー、、、マリー=テレーズ(修道女)
ヨランド・モロー、、、ジルベルト(義理の妹、料理長)
フランソワ・ベルレアン、、、ロベール(経営者、夫)
エドゥアール・ベール、、、アンドレ(元恋人、銀行家)
五月革命と同期する形で、家政学校の生徒と教師が共に新たな生き方に目覚めて行く過程を描く。
ベテラン女優3人が引っ張る活力あるコメディである。
何と最後はミュージカルで結ばれるのだ。
結構音楽も良いし充実感が残るかも。

1967年。
アルザス地方の小さな村にあるヴァン・デル・ベック家政学校が舞台。
良妻賢母の女性を育成する田舎の学園である。
しかし生徒たちは端から教育方針に懐疑的。既に自由や自己主張の文化に気づいていない訳ではない。
元々親に無理やり押し込まれて来たこともあり、いつも何をか企んでいる(笑。
だいたい、1967年と言えば、ムーディーブルースもプロコルハルムもデビューした年である。
その時期にこの学校は流石にないわ(笑、、、。

校長も(封建的で男尊女卑の理念による)7箇条の教えを元に、あるべき女性教育を施してゆくが、急死した夫が多額の借金を残していたことが分かり、学校が倒産の危機に瀕するに及び、男任せではならないことに気づく。
夫はウサギの骨を喉に詰まらせて亡くなったのだ。生徒は皆唖然とするばかり。
更にポーレットにとり青天の霹靂であったのは、取り引き銀行の担当者がかつての恋人であったのだ。
彼は戦後収容所に入れられ、彼女も戦火を逃れ他の場所に移住した為、長らく連絡がつかず、別々の人生を送って来た。
しかしこの30年越しの再開で、お互いの気持ちが再燃し、誰にも従属しない主体的な生き方を欲するようになる。
お陰で学校の奇跡的な救済計画も提案されるが。
このアンドレの存在が彼女にとり決定的なものとなる。

そして彼女らにとり変革の引き金となった事件が、生徒の一人が親くらい歳の離れた農場主との結婚が決められたことを儚み自殺を図ったことである。幸いすぐに友人が首を吊ったロープから降ろして一命をとりとめるが、これに際し校長は自分の教育方針が根本的に間違っていたことを悟る(暫くショックで寝込むが)。
これまで教えて来た教育7箇条を全て上書きする方針を打ち出し、服装もパンツルックで、闘う女性闘士みたいに生まれ変わる。
このアクティブなポーレットを周囲の皆が歓迎する。
つまり皆が同様の意識に目覚め突き進もうとしていた。

校長を中心に、皆がファッショナブルに活き活きしてくる(修道女は衣装はそのままだが)。
皆の表情が違う。
そして最後は、修道女テレーズの運転で生徒教師共々パリを目指す。
途中で五月革命の余波から道路の通行が出来なくなったところで、バスを乗り捨て、皆でパリに向かい行進を始める。
それがとてもカラフルなミュージカルとなる(笑。彼女らの女性解放宣言である。
パリまで到底徒歩では行けまいが、ともかく元気が出て来るのだ。
そんなパワーが迸る場と謂うのがまさにここであった。自然にミュージカルとなった(違和感なく)。

ジュリエット・ビノシュが幾つになってもジュリエット・ビノシュであることが分かる。
コメディやっても、とてもステキであり、踊っても可愛らしい人であった。
もう少し女子生徒の個々の演技も見たかった気はするのだが。
ただし、一言、パリに一緒に行こうねと約束した女子が相手に対し、「わたし海を見たことが無いの」と言う。
これで彼女らの置かれた状況は推測できる。花嫁学校さえ出ておけば、何とか都会の男性と結婚できるか金持ちの家の家政婦になれるという希望が持てる貧しい農村部の家の子たちなのだろう。僅かなシーンで情報はしっかり伝えてくれている。
これから先の彼女らはきっと自分の生きたいように生きて選択してゆくはず。
また、このような学校は消えてなくなるだろう。ポーレットもこの学校は終わりにすると言っていた(違う学校として存続を図るか?)
脇を固めた大ベテラン女優2人は存在自体に迫力があった。
存在感って大事である。
存在感の薄いわたしはつくづくそう思う(爆。
Wowowにて
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