ブラッディ・スワン

Fantasma
2018
アメリカ
ブレット・マレン 監督
ケンドラ・カレッリ
キャロライン・ウィリアムズ
デビー・ロション
「幽霊」なのか、、、「ブラッディ・スワン」という邦題、「ブラック・スワン」と勘違いして(とても似たものとして)便乗して観て貰おうという根性か?わたしもそんな感じでポチっと押してみてしまったではないか(苦。
狂気の芸術的欲望の代わりに単に凶暴な狂気が描かれる。

バレエ学校を舞台にした、解離性同一性障害者による連続殺人事件の噺。
吹き替えで観たのだが、声優が不自然で終始気になった。特に精神科医の声。
何と言うへたくそなのか。
声優が如何に大切な仕事かよく認識できた。
それにしても必ず犠牲になる子がそれらしく犠牲になるので、観ていれば今度はこの子の番か、と察しがつくようにご丁寧に作られている。
とても安定感のある演出だ。アメリカ映画にはとても思えなかった。
イタリアのカメラマン出の初めての監督作品とかいうタイプに思えた(笑。
またしてもパスタが黒い蛆虫になったりして、白か黒かは兎も角、蛆虫はホラーの必需品のようだ(トホホ。
新鮮味は全くないが、スプラッター度はかなり高い。
そこを評価する人はいそうだ。
しかし噺は単純そのもの。ミスリードを誘う傍流も無く一直線に最後まで流れて終わる。

解離性同一性障害のヒロインが幼いころに両親を惨殺し、その後バレリーナとして実力をつけ、ついにプリマとして舞台に上がるまでになる。だが突然、彼女の周辺の生徒や教師、医師までもが次々に猟奇的で惨い殺され方をしてゆく。
ジャーナリスト?がその事件を追うが、別に何を暴くでもなく、事件を阻止するでもない、何しに出て来ているのか分らぬ。
訳の分らぬ微妙な立場の男を置いても話が豊かになることはない。
結局、幼いころ両親を殺害した自分が華々しいヒロインとなって幸せを掴むことに異を唱える人格が頭をもたげたということか。
(事件が起こるに際し、必ずそれを予見するような悪夢に悩まされるようになる)。
そもそもヒロインにとり、かつてどのような耐えがたい状況にあったのか不明であるが、そこの部分を全省略してでもスプラッター趣味に尺をじっくり使う監督の方針であったことは分かる。
幼少時に受けた酷く重いダメージを回避している間に、切断した記憶と感情が独自に成長し続け、突然人格を支配して凶行に及ぶというにせよ、(全部こっち任せでは)どうもその重みが感じられない(笑。

ただ、ヒロインがどんどん追い詰められ懊悩する流れはよく分かるところであった。
終盤、自分の深く抱え込んで来た人格が自分を乗っ取ってしまうことに気づく。
気づいてから3人くらいを血祭りにあげることで、連続猟奇的殺人犯は自分なのだ、と悟る。
(それまでは何故、仲の良い友人が次々に惨殺されてゆくのかと慄いていたのだからショックであろう)。
自分ではどうにもならない醜い怪物に変身するイメージが描写されそのまま凶行に及ぶところは、説得力のあるシーンとなっている。
仮面ライダーの怪人みたいだ。
他のドラマでも解離した支配的人格を対象化して観る他人格の存在を描いていたが、そういうものなのか。
(そのような亀裂をもちつつ苦悶するもののようだ)。
自覚していて、やってしまうというのは酷く辛いものである。
最後、地下でミイラみたいになって果てていたがそこがよく分からない。
オカルトになっている。
役立たずのジャーナリスト風の男がその傍らで頭を抱えていた。何なんだこの役柄は、と言いたい(笑。
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