夢の中から

昨夜のことだ。
夢のなかでわたしは、いくつもの乗換をした。
空間は菫色に染まっており、ポール・デルボーの駅構内の雰囲気があった。
恐らくそれは色ではなくむしろ空間の密度ー硬さの度合いであったのだが、さしたる問題ではない。
そこでは無意識とか身体の自動運動とかいう概念はなく、意識はそのまま時間であった。
変性された意識つまり固有時によれば、駅から駅の繋がりは数える気が失せるほど沢山有り、しかも確実に自分が欲している駅で下りることができた。
正しくこの駅なのだ。
こんな確実な事象はなかった。
しかし何故、こんな駅に来たのかは全く理解できない。
それはそうだ。
最初から何処かへ行く気など毛頭なかったのだから。
何故わたしは動くのか?
いや、動くのを前提とするのか?
その無意識自体が幻想であった。
動くー移動自体が。
そんな古風な観念では、何処へ行くとか言う前に何も知ることは出来ない。
少し周りを確認するとそこは別に駅でも何でもないことに気づく。
駅と思いたいのなら駅だが、キリコの広場でも良いし、立派な劇場前でもあった。
しかしすべてが少しばかり古風な出で立ちである。
実際、犬連れの婦人も歩いている。
これには特に時代感はないが。
何の意味もなかった。
ただ、何より明白なのは、起点も終点もないただ次への乗換が素晴らしく爽やかで気持ち良いこと。
正に全く異質の新たな”駅”に出ること。というか、正にその場所に現れること。
ここと次が全く関連を持たない線で繋がっていること。
これが何より肝心なことであった。
何より肝心なのだが、しっかり知っていることを違う場所、いや違う次元に連結して述べる言葉がまだ整備されていないことを、降りたばかりの駅で確認した。

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