アンチポルノ

Anti Porno
2017
園子温 監督・脚本
冨手麻妙、、、京子(小説家)
筒井真理子、、、典子(京子のマネージャー)
福田愛美、、、妙子(京子の妹、故人だがピアノを弾きに出て来る)
小谷早弥花、、、ワタナベ(ファッション雑誌の女性編集長)
不二子、、、100(女性カメラマン)
麻美、、、アレックス子(100の助手)
下村愛、、、スージーZ(100の助手)
吉牟田眞奈、、、鈴木蘭子(京子の継母)
貴山侑哉、、、鈴木剛(京子の父)
長谷川大、、、大根太(通りがかりの青年)
坂東工、、、原口あやお(監督)
場面転換の鮮やかな意欲的な作品に思えるが、時代の欲望に膨れ上がった幻想から抜け出る事の出来なくなった小説家の狂態を描いたものと括れるか、、、。
勿論その取り巻きも皆、思い切り病んでいる(笑。

時代の寵児として脚光を浴び、自分自身訳が分からなくなってくる。
そういう人は如何にもいそうだ。
その役を新人女優の京子が演じるが、監督にダメ出しされ共演者たちからくそみそに罵られる。
劇中劇の形式で、唐突に入れ子状に切り替わる。
映画の中の映画だったり、映画の中の舞台劇だったり、、、場面自体も目まぐるしく変わる。過去であったり幻想の光景であったりと。

京子と典子など特に、難しい役だ。大胆に吹っ切れた演技であったが、感情的にも大変だったのでは。
ここでも冨手さんは捨て身の熱演だが、この監督の映画(東京ヴァンパイアホテル)以外では最近これといったものを観ないな。
(それ以前の可愛らしい役のものは観ているが「後ろむきの青」)
これだけやって、まだこれはという良い映画に恵まれていないのは、ちょっとキツイ感じもする。
(それから余りに多くの映画、舞台、Tvに出過ぎていないか、ちょっと絞った方がよいような)。

体当たりの激しいシーンや罵詈雑言を吐いたり、汚い言葉を使ったり、飛ばしまくっていたが、、、。
最初からずっとその調子なのでそれすらも単調に感じられて来る。
京子と典子の演技の迫力は凄いのだが、何でここまで京子が追い込まれていくのかは分かり難い。
妹が何故、死にたかったのか。死んだ後もピアノを弾いて現れるのか。
この経緯の描写が無い。死んだという事実だけで充分という流れではあったが。
終始笑顔であることから尋常でない精神状態とも取れる。
どこまでが、京子の幻視なのか。

この映画は、最初から最後までずっと異様なボルテージで進む。
強迫神経症的でもあり妄想と現実の混濁にあり、退廃的で破滅的である。
そこから抜け出て冷静になり、落ち着いて考える暇もない。
絶えず、演じ続けることを強制される。
仕事のスケジュールを唱えるマネージャー。
完全にすっ飛んだ撮影隊の面々。
その場に対するメタレベルの映画製作の監督を含む外部の存在。
しかしこれらも果たして現実か。
そもそも現実がどうのという意味はない。
われわれは誰もが自分の幻想の中に生きているのだ。
そこから出られる人はそうはいない。

これは、わたしの人生じゃない。どの場面も時代の欲望の欲する役柄。どこにも出口なし。
テーブルの上の瓶の中で育って出られなくなったトカゲみたいな。
でもそれを表す演出と謂うより、、、
あんなにペンキぶっかけられたり罰ゲームの連続みたいなハードでヘビーな役柄で、、、。
そう、まるで映画自体が罰ゲームみたいに見える。
ちょっと叫ぶ場面が多すぎるところもどうだろうと思う。
最後の出口は何処?!という叫びは、よく分かる。
冨手女史は、こういうのが好きなんだろうか。ならば良作に出続けているということか。

尚、Wowowでは全般にボカシだらけで映像として観るに耐えない部分が多すぎた。
その辺の配慮が欲しい。
Wowowにて
こちらは変なボカシは無いそうで。
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