この世界に残されて

Akik maradtak
2019
ハンガリー
バルナバーシュ・トート 監督・脚本
クラーラ・ムヒ 脚本
ジュジャ・F・バールコニ 原作
ラースロ・ピリシ 音楽
カーロイ・ハイデュク、、、アルド(42歳の医師)
アビゲール・セーケ、、、クララ(16歳でアルドに出逢う)
マリ・ナジ、、、オルギ(クララの叔母)
カタリン・シムコー、、、エルジ(アルドの伴侶)
バルナバーシュ・ホルカイ、、、ペペ(クララの伴侶)
それ、うそでしょ。
ああ、いつもそうだ。
何度も語られるこの台詞、、、この噺の中ではとても重くて切ない。

静謐で気品のある絵で、過剰な起伏もなく抑制された流れが心地よい。
音楽とも調和が取れていた。
こうした映画に少なくないが、実際の戦闘や悲惨な収容所の光景を一切挟まず日常の姿を描くだけでその人物の傷を浮かび上がらせることが出来ている。
アルドは、未だに正面から認められぬ喪失の記憶をアルバムの中に深くしまい込んでしまっている。
クララは、両親はただ捕虜になっただけで今も健在だと思い込もうとしていた。
その2人が邂逅する。

ホロコーストを辛くも生き延びたクララとアルド。
彼女は両親と妹を亡くし(妹を両親に託されたが守り切れなかった)、彼は妻と二人の息子を亡くした。
こころの傷を埋め合うような関係であろうか。
1948年のハンガリーである。
この時期、孤児を引き取る家も多かったようだが、運命的に結ばれた新たな父娘のようにお似合いであった。
ホントの父娘では、なかなかこうはいかない。

しかし戦後も、スターリン(主義)のソ連がハンガリーの中立を長いこと妨害し続け、国内の相互監視の体制も強化される。
(スターリンが死んだ後も、その主義は継続し、ハンガリー動乱にも及ぶが鎮圧されその後も長い抑圧は続いた)。
誰もが怯えて硬直していた。
この父娘もいつ連行されるか分からない。
人々の関係性が強張ってひりついたものになって行く。

アルドとクララの生活は娘の交友にやきもきするホントの父親と彼の交際相手に対し嫉妬するホントの娘のような関係に熟して行く。
しかしそれはとてもフラジャイルな綱渡り的な生活とも謂えた。
自然にそのまま流れて行って欲しいものだが、同じアパート内でも深夜に兵隊が隣人を連行する場面に出くわし、少しばかり目立つ関係を隠蔽しきれない。どういういちゃもんが付くか。
恐らく二人ともこのままの関係でいたいという気持ちは何より強いものであったが、お互いに伴侶をもち距離を取る選択をする。
お互いの身の安全あっての(ささやかな)生活である。
アルドの再婚相手は元患者さんのようだ。
クララの相手のペペという若者も軽いが良い奴だ。

最初は目に隈をつくったちょっと生意気な少女が、賢く凛とした淑女になっているところは、素敵だった。
3年で女性は変わるものである。
体制は益々抑圧的になっては行くが、彼女らの未来は何か光に充ちたものに想える。
余韻が暫く残った、、、。
ハンガリー映画というかこの監督は今後も注目したい。
美しい時間が味わえた。
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