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”かげろう”を観て

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LES EGARES STRAYED
2003年
フランス

アンドレ・テシネ監督
ジル・ペロー原作

エマニュエル・ベアール 、、、オディール
ギャスパー・ウリエル 、、、イヴァン
グレゴワール・ルプランス=ランゲ 、、、フィリップ
クレメンス・メイヤー 、、、カティ


あの館は廃墟だった。
感化院を脱走し人目を避けて逃げていた青年がそれを見つけてきたというのも肯ける。
間違っても廃屋ではない。
奇麗ないつでも使える立派な家だ。
ただ、持ち主が戦争のためにいなくなっている、というだけのこと。

青年は(17歳だったか?これまた微妙な年齢だ)生きる力は飛び抜けているが、知的な素養がない。
ある意味、野生児とも言える。
その彼だからこそ、戦時中に楽園ー廃墟とも言える館を用意できた。
と言うより、館自体も彼らを待っていた。

とりわけ知的な母子の家族よりその脱走青年はずっと自然の側にいる。
危険な国道に逃れたり無人の村から村をひたすら歩き続ける疲弊するだけの行動を回避できた。
廃墟は自然の時間に属する。

ピクチャレスクな館はそのまま廃墟ー楽園の感をその新しい住人の精神的な動きとともに深めてゆく。
きっとそういうものだ。
エマニュエル・ベアールとその野生児は相互の微妙で繊細な揺れ動きを通し、お互いの境界を熔かしてゆく。
それぞれの時間が解放され拡張されてゆく。
廃墟という楽園の時間に染まってゆく。

そのさなか、戦争と言う大きな時間の終わりを告げる兵士2人が楽園に侵入する。
彼は彼らの排除を企てるも彼女の優等生の息子に抑止される。
勿論、逃亡野生児は、兵士の前には出られない。すぐに密告されてしまう立場である。
彼はしばし身を隠す。

その間に、野生児もエマニュエル・ベアールもお互いに対する気持ちが熟成されていく。
これも時間のなせる技だ。
お互いが見えない間(不在であるため)に時間だけは純化されてゆく。
待てよ、こんな話を何処かですでに知っていた気がする。
そうだ、「嵐が丘」だ。

恋愛とは恐らくこのようなものだ。
すべてが「嵐が丘」なのだ。

そして、2人の兵士が2人の楽園から去る前夜、2人は恋人として出遭う。
しかし、それが最後となった。
愛に目覚めた野生児は、同時に戦争と言う坂口安吾も定義するような特殊な時間性からも追い払われ、もはや野生児ではなく、法によって拘束される(感化院に連れ戻される)存在へと戻らねばばらない。

彼の予言(たった一人の友達のことと嘯く話)の通り、彼は独房で自殺する。
この世に彼の生きる時間はすでに残されていないことは、野生の本能で彼が一番よく知っていた。
そして彼女も分かっていた。
彼女の優秀な長男も母の様子から全てを汲み取ってしまうが、ことばを呑み込んでしまう。
戦争と言う時間の終結の意味と、、、。

廃墟には持ち主の時間が戻り、普通の家として何もなかったのごとく時を刻みはじめるだろう。
もはや後には廃墟はなく、夥しい廃屋だけが残っているだけだろう。


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