ディナー・イン・アメリカ

Dinner in America
2021
アメリカ
アダム・レーマイヤー 監督・脚本
ジョン・スウィハート 音楽
エミリー・スケッグズ、、、パティ(短大中退してアルバイト)
カイル・ガルナー、、、サイモン(ジョンQ)
グリフィン・グラック、、、ケビン(パティの弟、養子)
パット・ヒーリー、、、ノーマン(パティの父)
メアリー・リン・ライスカブ、、、コニー(パティの母)
ハンナ・マークス、、、べス
リー・トンプソン、、、ペティ
久々の素直な邦題でホッとした(笑。
アメリカでは刑務所が一番贅沢なディナーが食えるぜ、というところか。

ヒロインのパティは、同年代の男女から馬鹿にされているオタク系の女子で、パンクミュージックを主に聴いて籠りがちの女子。
大ファンで大胆で過激なファンレターを幾通も送っているパンクバンド”サイオプス”のリーダージョンQを知らず自分の家に匿う。
覆面ボーカリストの為、素顔観ても誰だか分からない、とは言え高校時代同じ授業をとっていたことに気づく全く知らぬ間柄ではないのだ。
彼はセクハラと放火の疑いで警察に追われており(成り行きでそうなっただけであったが訴えられてしまったもので)、どこか身を隠せる場所を探していた。何とも呑気な(笑。

それにしても二人が偶然出逢うなんて確率がどれほどあるか。
なんてことはどうでもよく、究極のご都合主義で始まるドタバタパンク・ラブコメディ。
前半はやたらとサイモンが尖っているが、彼もまた家族につまはじきの厄介者で在り、アウトサイダーであった。
片や過保護、片や不適合者の寄る辺なき孤独な者同士が、パンクで弾けて結ばれる。
なかなかのカップルだ!よいと思う。
わたしもロックでどれだけ救われたか。
ビートルズ~ムーディーブルース~プロコルハルム~キングクリムゾン~ピーターハミル~ルーリードと、、、。
(勿論すべて挙げればこの百倍になるが)。
パンクで言うと、わたしの場合、ストラングラーズ、Devo、ワイヤーそしてブライアンイーノのプロデュースによるアルバム「ノーニューヨーク」参加アーティストたち。(この頃、イーノはニューヨークの至るところで、”イーノは神”とビルの壁などに書きまくられていた。)実際、これらのパンクに出逢ったときは椅子から転げ落ちるほどの衝撃を喰らった(誇張ではない!)

パンクは不可避的に自身の存在誇示であり政治表明でもありえた。
これこそオリンピックより遥かにハードルは低く、参加することに意義がある!というものだ。
上記のパンクアーティストたちは、芸術性(音楽性)、飛び抜けた発想、具体化する演奏技術をしっかり備えた人々であったが、多くのパンクロッカーたちは、楽器もまともに弾けず歌もただ文句を怒鳴り飛ばしているだけの人たちであった。
しかしデビュー時は衝動的で攻撃性だけのムーブメントに乗っかったバンドに過ぎないところから、音楽性と歌詞のメッセージ性にも磨きがかかりじっくり聴かせる練れたバンドへと変貌するものも少なくなかった。バズコックス(ピート・シェリー)からマガジン(ハワード・ディヴォート)へ、、、など。実にカッコよい変貌を遂げてゆく。勿論、ジャムやザ・クラッシュ(ジョー・ストラマー)は言うまでもない。
しかしこのバズコックスのピート・シェリーなどもう亡くなっている。デビッド・ボウイも唸った名コンポーザーのジョー・ストラマーも亡くなっている。もうかつてのパンクミュージシャンが亡くなる歳(病気もあるが)なのだ。
パンクがロックのクラシックになるとは思えないが、でもこれを機に活きの良い発散行為をしている若者(今は爺さん)の姿に触れるのも、意味があると思う。少なくともこんなアホなことを死に物狂いでやってる人を最近見たことは無い。
皆、分別臭く妙に保守的に洗練されているのだ。

最近流行っているボーカロイドも最初聴いた頃は面白味を感じたが、皆同じに聴こえてくるのだが。
ゾクゾクと音楽アプリケーションによって作り出されてゆくサウンドが、スマートなのだが何やら金太郎飴みたいな味わいで、、、。
別にわたしはテクノロジー(ソフト含む)を多重に介したものをどうこう言うつもりはない。
ソフトマシン(ロバート・ワイアット)やタンジェリンドリームだって、テクノロジーは使い倒している。ただ技術が段違いではあるが。
タンジェリンドリームのエドガー・フローゼが、わたしはベートーベンと同等の心境で音楽の創造に臨んでいる、とかつて語っていたが、そこまでの創造性や芸術性は別として、音楽にかける純粋で新鮮な意気込みは、同じものを感じるのだ。
ここに出て来るパンクロッカーに(爆。
だから、生きようと、多少ズレていようが自らのこころに従い、よりよく生きようとするこういう人たちを揺さぶり続ける。

一度くらいパンクに熱狂するのも良い。
彼らもいつまでもパンク(という形式~ムーブメント)に留まっていたわけではない。
別に大人になって卒業するという意味ではなく、、、
子どものままより強度のある表現に突き進んでいったアーティストは少なくない。
それがまた興奮させられる(爆。
檻に入ってなかなか出てこれなかったり、薬で身を亡ぼしたり、夭逝してしまったりするひとたちもいたが、この映画のサイモンはしっかり戻る場所~パティの待つところがあるので、心配はいらない。
自分の場所があるということは、最終的に強い。
これは言える。
このカップルに惹かれた(笑。
Wowowにて
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