ハンドル・ブレーキ・アクセル無!Google自動運転車の試作車公開
素晴らしいというよりちょっとひょうきんで可愛らしい車だ。
これまでのテスト走行車を見る限り、如何にもまだ研究中です、と言った外観であったが、これは完全に市販車のプロトタイプと言った感で、実用性はともかく洗練されている。
これまではベースの車はトヨタ車であったし。
今回は、ゴルフっぽいかたちの完全オリジナルタイプだ。
実に可愛らしい形をしていて、取りあえず40kmの速度でヒトを乗せて試験走行をしている。
なんとヒトは文字通り乗っているだけで、ハンドル・ブレーキ・アクセル無しなのだ。
車に乗るということは、われわれドライバー(わたしは休日ドライバーだが)にとって、イコール運転を意味していた。
運転の楽しさ醍醐味を謳い各メーカーは車を開発し販売してきた。
勿論、他の販売要素として、安全性・居住性・経済性(燃費)・スタイル(用途)などがある。
これら各要素の内、安全性に最大のウェイトをかけてみたら、自動走行に行きついた。
そして、われわれがちょっとした暇に或いは休日に楽しみにしていたドライブが実質なくなる時が来た。
特に今ギヤはマニュアルシフトで山の坂道走行を楽しんでいるお父さんたちはこれをどう思うか、微妙である。
オフロード走破を楽しむアウトドア派もそうである。
恐らくこの世からもう車は無くなる、と言った感であることに同情したい。
つまり、車の運転をスポーツとみて楽しんでいる人たちに。
プロのレーサーたちの舞台はひとつのモータースポーツとして残されると思うが、一般道における交通事故ゼロの実現を考えれば、当然そちらにシフトすることを留める理由などあろうはずもない。
その経済効果の大きさはとてつもない。
自動車事故による医療費等を考えなくてもよいのだから。
これは大変革である。
Googleの一人勝ちか!
この企業の地図情報はあまりに大きい。
そして自動運転のOSの標準化へと進めたいはず、かつてのMicrosoftのように。
当然車体制作メーカーはパソコン本体(Win互換機)製作メーカーと同じかそれ以下の立場か。
ま、どこが大儲けするにせよ、、、。
考えてみれば、この事態はヒトから銃を取り上げるのと同様に必要なことかも知れない。
不完全な人間というものから凶器を取り上げるという意味では。
わたしはこの方向性は正しいと考える。
特に昨今の大型トラックやバスの悲惨な事故を見ても。
「人間は車の運転には向いていない」(Google)
説得力がある。
自動車は完全自動車に変わる。
そして、われわれはその箱に入るだけ。
乗るですらもはやない。
行先を入力すれば、後は中で何をしていようが、安全に目的地に最短距離と時間で着いてしまう。
いや、すべてを見込んだ最適な経路を計算してしまう。
仕事をしたいヒトはその時間中100%それに専念できる。
読書したいヒト、歌を唄いたいヒト、眠りたいヒト、何でも出来る。
STAP細胞の研究も出来る!?
これは、われわれにとっての最も重要な「時間」が大きく質を変えてくることになる。
退屈ではなく、むしろスリリングであり、創造的ですらある。
様々な可能性に期待したい。
自分の部屋が勝手に何処にでも移動すると考えてみたら。
車の運転という歴史的事実を奇異な目で見る人たちが現れる世界になるはず。
「昔の人たちって無鉄砲で危ないことしてたのねー」
「こんなに事故死を出しながら運転を続けていたなんて、野蛮だわ」

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