スペル

Spell
2020
アメリカ
マーク・トンデライ 監督
カート・ウィマー 脚本
ベン・オノノ 音楽
オマリ・ハードウィック
ロレッタ・デバインロレッタ・デバイン
ジョン・ビーズリージョン・ビーズリー
ロレイン・バローズ
以前観た同名の「スペル」が大変ショッキングで悲惨な映画であったが、これはもう生理的にグロテスクと謂うか痛い映画で、ちょっと正視出来ないシーンが幾つかあった。
あんな長い釘を足に刺されただけでも飛んでもない状況なのに、死ぬほどの痛みをこらえてやっと引き抜いたものを、あちこち歩き回って戻って来てからまた律儀に刺し戻すってどういうこと?やめて!と言いたい(怒。
それから猫に何するんだ。である。

大都会で成功者として颯爽と生きる黒人男性と優雅に暮らすその家族(妻と長女と長男)。
突然の父の訃報でプライベートセスナに乗り家族4人で辺境の地に戻ることに(車ではダメなのね)。
父とは絶縁していたこともあり、戻る必要もないのだが、、、。わたしなら戻らない。忙しいし。
途中の給油所で、ブードゥー教の呪いから身を守るお守りを店主から勧められたがあっさり断る。
そして故郷の直ぐ上空まで来た時に嵐に見舞われセスナは操縦不能に、、、。
気づくと自分一人が老夫婦と暴力的な使用人のいる民家のベッドに半ば拘束状態で囚われていたことに気づく。
ここからもう、家族がどうなったのかという不安。
足の傷がかなり酷く、呪いで治せるとか言われて先が真っ暗なのにまともに移動も出来ない不安と恐怖。
老夫婦が完全におかしい人間であり、集落の人全てがここの老婆に操られていることを知るに至り、絶望感に苛まれる。
(絶望感と言えば、このようなホラーにつきもののシーンとしてやっとのことで外に出て自分の頼みとする人に縋り脱出成功と思いきや、その人間によって脱出したばかりの場所に連れ戻され万事休すというパタン。何度見たことか。ここでもそっくりのパタンを観てしまった(爆)。

わたしは釘を抜いて何とか移動が出来るようになったところで、誰かを頼らず全力で逃げてゆき、戻ったりしない。
(まず抜けるかが問題だが)。
違うルートで家族を捜索する。
まずは乗って来たプライベートセスナの墜落現場に立ち戻りそこから始める。
あの変な老夫婦に長いこと関わっていると事態は改善どころか、殺されるのは目に見えているし。
あの自分に似せて作られた気味悪い人形は持って逃げる。
それに何かされては大変だ。
この主人公はその富豪ぶりからも大企業専任の大変優秀な弁護士のようだが、やはり柔軟性(適応力)と学習力(吸収力)も素晴らしい。それにこの老夫婦度々集会で家を空け、隙が多いのだ。その間に動き回り探ったり準備したりできる。しかし彼は必ず策を弄した後ベッドに戻って来るのだ。
そんなことをしている間に鼻にもかけなかったブードゥー教の呪術をリーダー格の老婆の観察から習得してその呪術をもって逆襲するまでになる。
相当な能力の持ち主で、他の流派の拳でも瞬時に見極め自分のものとして使える北斗の拳のケンシロウみたいだ(他にわたしはこんな人知らない)。
秘薬も予め入れ替えておいて肝心な時に大逆転を果たしたり、ここぞという時に塩を撒いて結界を張ったり、、、老婆のブードゥー人形を自作しておいたり、それは造形能力だけの問題ではなく呪いの念も籠めるのだろうが、その他の敵の人形もしっかりいつの間にか作っておいて肝心な時に人形に災難を仕掛けて相手(本体)を倒すなど、もう呪術の上級者ではないか。リーダーの老婆の上を行っている。
わたしもモノづくりは大好きだが、こんな過酷で不安で切羽詰まった状況下でお人形作りをしていられるか、自信が無い。
(単なる造形能力を超えた~やはり亡き父の土地である~このブードゥーの血が彼にも流れているのだ)。

ということで、前半は軟な都会のエリートから後半はルーツに触れ覚醒した呪術者として無双の闘いを見せる。
わたしはこの展開に無理は感じなかった。ヒーロー覚醒と受け取ってよい。
足があの状態である。普通の人間なら一歩も歩けるはずもないところ、堂々と闘っているのだ。
あれだけの深手を負ってこんなに気丈に闘えるのは、やはりケンシロウくらいしか知らない。
父に幼少時代、辺境の地で虐待を受けて育ち、そのルーツを否定する形で大都会で(知性により)成功を収めた彼であるが、今は内に秘められた能力にも目覚め力強い男になった、と謂える。
ただし、家族が皆生きていたのは良かったが、息子が右手を失くしてしまったことは、痛恨の極みであろう。
(もしかしたら老婆に出された食事の中にその手が煮込まれていたのか。これは内緒にしておいた方がよい)。
BGMは効果的であった。
「スペル」はわたしにとって、どちらもキツイ映画であった。
Wowowにて
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