冬の蝶

遠山 昇司 監督・脚本
志娥慶香 音楽
Una、、、サチ
五十嵐靖晃 、、、兄
岩崎幸代 、、、祖母
大西靖子、、、母
19分の短編映画
熊本の五家荘という奥地がロケ地だという。
凄い、僻地感だ。
というより、縦の深さを殊更に感じる幽玄の地だ。あの吊り橋。
(平面的な広がりを見せる映画は多いが)。

こういうところで暮らすと、質の大きく異なる生活を営むことになるはず。
方向性ではなく、垂直性であり、濃密さで在り、遠方(相対性)ではなくディテール(量子的)である。
空気の組成や重力値が同じでも他の惑星みたいな感じもする。
異なる場。
そもそも旅行とは、それを知る為にするものだろうか。
サチも母から祖母の危篤の電話を受けてハスラーで実家に駆け付けるが、直ぐに着いていたから、やはりこの土地の少し離れた場所のマンションに住んでいるのだろう。仕事とかの関係で(いや、実家のある地帯が変化が無くて苦手だと兄に語っている。それで独り離れて暮らしているのか)。
そこには寝たきりで意識も定かでない祖母と看病の母と兄がいた。

吊り橋に行き、兄とは冬の蝶を巡る噺になる。
丁度、祖母からも彼女は蝶を捕まえたから見せるという電話を受け取っている。
祖母が意識なく眠っている時である。
そんなことが起きる場所はウキウキするではないか。
兄はその頃、蝶を表の畑で見つけたと謂う。死んでいたと。
それは随分前、サチが見つけた蝶でもあった。蝶はいつでも最初から死んでいるのだ。
そして祖母は、サチに蝶を捕まえたの、と(また)電話をよこす。

こういう意識と無意識の綯交ぜになったような場所~現実は、同時性や時間の解体現象がところどころで起きてよい。
祖母は認知症でもあった。もともと時間の方向性などに縛られない。
祖母を見舞ってから、またハスラーに乗って帰るが、途中の街道で反対車線に鹿が死んでいる。
祖母の場所だけで生きている蝶が、今度は鹿となって死んでいるのか。
別にバタフライエフェクトではない。
それはニュートン力学系の噺であり、Tの実在のもと、初期値が蝶の羽搏きくらいの攪乱によって変動し指数関数的に増幅して大変な事態をもたらすという(寓話的な)話であるが、そもそもTが覚束ないこの深淵の地にあり、全ては出来事でありその出来事の相互関係が確率的にあるだけ。

たまたま、蝶が鹿になっていた。
しかしこれが現実である。
更にクリアな世界の実相である。
時間から解けた。
エンディングのピアノ曲が沁みた。
ヒロインがやたらカッコよいのだが、平手友梨奈女史あたりがやってもピッタリな役かも。
Unaという人、SF映画に是非とも出演してもらいたいものだ。
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