Autonomous 自律

AUTONOMOUS
2019
イギリス
イアン・ヘンリー 監督
ペトル・ダヴィドチェンコ
この主人公の男性は自転車にバッグを二つ付けて車の行き来する幹線道路を走ってゆく。
これだけ見れば普通の若者であるが、ひとつ決心したことがありそれに従って生きてゆくつもりだ。
それだけは、直ぐに分かる。
この男性の考えは一言も聞けない。全く言葉のない、この男性の行動を追うだけのドキュメンタリー映画なのだ。
「自律」である。
自立は自律性を持たなくとも、誰もが何となくしている状態であるが、自律を考えると本質的になり厳しくなる。
勿論、自律性をもって生きることが本来の生の姿であることは言うまでもない。
だが、それを達成している人がどれほどいるか。
車の往来の激しい道路には、結構事故死した動物の死体が転がっている。
男性は、この動物の死体を道路脇でナイフで刻んで生食する。お腹は大丈夫か気になるが、平気みたいだ。
この映画の題からしてもこの男性が自律(的)に生きる姿を追ってゆくものであることは察しが付く。
ではまず、自律に対し、自律的でない(他律)とはどういう状態を指すものか。
生きる上での判断を他者~制度(慣習や伝統)に委ねており、そのこと自体に気づかない場合であろう。
つまり抑圧された環境下で社会化され、その抑圧を内面化している状態である。
「自律」を考える時点で、それに関し自覚的であることは分かる。
この男性、服装も入れ墨も自分の趣向を素直に出しているところは容易に窺える。
そして食欲に率直に従うこと。但し自律のための挑戦も窺える。普通(これまで)の生活であれば、われわれのように料理を食べていたはずであり、レストランで他者のサービス(調理)によるものを食していたはず。
道端で死んだ動物の生々しい死体を切り刻んで生食すること自体かなりの決意と勇気がいるはず。
この映像の多くの時間が、拾った動物を捌いて生や煮たり焼いたり蒸したりして食べる様々な姿に充てられる。
そう、このように自分独りで生きるとなれば、食料調達に大部分が費やされることにもなろう。
これはとりもなおさず、自然と身体の交流そのもので在り、自律に向けての肝心な過程であることは間違いない。
ともかく言葉がない~コメントのない映像であるため、何とも言い難いが、この男性ははっきりと強い意志でこの行動を始めたことと窺える。
わたしには、こうした目的が立ったとしても、生理的なレベルでの葛藤が免れないと感じる。
森の中、池で水浴したり、沐浴したりは、とても気持ちよさそうなのだが。
ハエがぶんぶん纏わりつくのだ。
衛生的にもどうしても気になってしまうはず。
それでもやろうと踏み切った思い~考えとは、どうしたものか。
自律的に自分は生きていない、生きてこれなかった、と苦痛の日常の内にはたと気づくときはある。
生き難さの内にはっきり悟るものだ(ここはわたしについてもそうである)。
そして自分は自律的に生きようと決める。
しかし往々にして、個人主義の(自己充足、独立が利己的になされる)範疇で意図されることが多いか。
自律を他律と対で見れば単純に考えてしまうが、相互依存に対して考えると微妙な局面が見えて来る。
(生命は細胞~膜を獲得した時点から相互依存~死を抱え込んで存続してきた)。
相互依存の形態なしの自律は生きる上で(原理的に)不可能だ。
ここでは人との関係は一切持たずに独立独歩の姿勢で生きる様子を見せているが、食欲に関しては死んだ動物を拾って食ってゆく。
これは、自然の連鎖のダイレクトな受け入れという点で、その肉を自らの血肉にする、毛皮を防寒に役立てるという行為においてかなり究極的な相互依存の自律的な選択と言えよう(カントのよく謂う、自ら選んだ~という点で)。
だが、わたしの関心事は寧ろ、自律性をもった、友情や愛情の相互依存関係である。
人はどうしても社会との関りからは逃れられない。
男性が使われなくなった線路の上に作った家(これが社会的要素でもある)に沢山の毛皮と共に寝ていたが、ある夜食料をもって帰るとそれが煌々と全焼しているのだ。恐らく何者かの放火であろう。
男性は暫く呆然と立ち尽くすが、彼はその後、夜の車の激しい街道を獲物を片手に裸で歩いてゆくではないか。しかも中央線上をである。
今までは服を着て自転車で車の脇を大人しく走っていたのだ。
怒りと決意を新たにした姿に思えた。そしてこの行為から受け取るものは、自尊の気持ちを強くしたのでは。
自律に自尊はとても肝心な感情であるから(まさにわたしはそこに気づいて自律を意識した過程がある)。
この男性は冬に雪の中、毛皮を敷いて裸で目を閉じ寝ていたが(まさか眠ってはいまい)自然との一体化を通して、これまでの柵を洗い流し、他者~制度・規範に侵された患部を浄化する過程を経て来たのだと窺えるが、この先の自律性を持った他者との関係が何より課題となるはず。
慣習や伝統、道徳に屈することなく、他の権威に決して寄らない自己をもって他者と関わること。
これがワークショップとしてきっと役立つのだと思うが、、、
わたしにはこういうの無理だけど。
わたしも現在の方向性は全くブレないが気持ちを新たに頑張る活力は(ものすごく)得た。
よい刺激になったことは確か。
AmazonPrimeにて