イノセンスを観る

2004年
押井守監督・脚本
主題歌、、、伊藤君子 『Follow Me』
声:
大塚明夫、、、バトー
山寺宏一、、、ドクサ
田中敦子、、、草薙素子
大木民夫、、、荒巻大輔
今、Cloudが流行りだが、それを徹底すると終始ハッキングの危険に晒される身になるだろうな、と実感する。
外部情報系への接続がデフォルトとなると、どうやって個を守るのか。
「個」が無くなれば同時に「世界」も無い。
主体として必要に応じ外部情報系のデータバンクに素早く検索をかける。
それは同時にハッキングされる瞬間でもあり。
のっとられる契機である。
どうやって逃れるか?
人類が存続できるかどうかの瀬戸際だ。
ネットワークの無限平板の広がりの中に垂直的に接合するhubが仕掛けられていたら。
そのhubが何かの指向性を持つ統合制御システムに伸びていたら。
自分はすでに、これといって固有の時間性も持ち得ないリゾームのひとつとなる。
この言い方自体が矛盾である。
生身の肉体とか、個人とか言う前に、それでもその個体に「わたしは、、、」という言説が成立するか?
地上にはイミのないお喋りだけが渦巻く。
誰もが人形である。
この頃になれば、自覚した傀儡もいなくなる。
人形のお喋りがいつまでも続く。
そうすでに都市はみな廃墟である。
この映画の都市のような。
そして人形は廃墟の住人。
それなりに魅惑的か?
しかしそれを誰が賛美する?
何かを仕掛けた存在自体も早晩破滅する。
関係性が死滅している。
他者がいない。
鏡だけの世界に発狂しない者はない。
果たして肉体を完全に捨てた素子の存在スタイルは成り立つのか?
純粋な意識と思考はいくら膨大な記憶があっても存続できない。
未知に向けての生の意志ー意欲がなければ。
その根拠は肉体的な現実が前提となるはず。
電脳の中に生き残れるものなどいない。