アドセンスではなく(笑)
雪だるまが恋しい季節になりました(?)。
娘を随分、冷しました。発熱した場合、熱を薬で強制的に下げることはよくないと言われます。体内に入った病原菌を殺すために熱発しているのだから、かえって病気を重篤にすると。とは言え、あまりに暑くて眠れない、となると頭や脇など、脚の付け根もそうですが、冷してあげてどうにか眠らせる。眠れないとやはり治れない。解熱剤は一回だけ座薬を使いました。何とか昼間は調子の悪さより遊びたい気持ちが勝って、動き回るのですが、夜になると今一つ元気がなくなる日が続いています。だんだん良くはなっていますが、、、。
「情報とは」で極めて荒いスケッチをしてみましたが(本腰入れて書いたらとんでもないボリュームになります)、外部情報系の発達とその個人的とり込みに絶対必要な時間があります。思春期です。これがヒトと他の動物を分けるところでしょう。今、じわじわ話題の”アドセンス”ではなく、”アドレッサンス”です(笑)。体外胎生期ではまだ性の問題は発現しませんが、ここはまさに性的空白期です。ある意味、社会に参加出来ずひたすら知の吸収を強制的に行わせる時間になります。ここで大脳の発達・外部情報系の拡張が行われる。そして、成人式、イニシエーション、これに当たる儀式は世界中何処にもあるようですが、それによりはじめて社会の構成員になり、社会システムの維持へ。
動物にもこれに似た儀式的な局面(システム)は見られると言いますが、(カニ同士の喧嘩、オオカミ同士の争い等ですが、ヒトと同等のものとは考え難い)何をおいても、このアドレッサンスの前に、ヒトには直立二足歩行があります。何故前回、これを書かなかったのか?立ち上がれば移動速度は遅くなり、安定を保つことも困難になります。身の危険は高まります。でも、はじめて”地平線を獲得する。””世界という思想”が可能となる契機です。ゆっくり周囲を見渡す(自然界からの遅延化・疎外)。さらに両腕の自在性と手指の分節化(親指と他の指の対向・指間接の自在性)、これは前回書きました、によりここと彼岸(自分と他者)の思想の芽生え。何しろ眼前の事物・景観が自分の手や指でどのようにも隠せ、また指示することが可能になった。視覚の優位化。同時に声帯ですね。声の分節化です。言霊。ものという対象化。命名。数の概念の成立へ。情報の記録への要請。これを尖った楔で文様・絵文字・文字を壁面に記録・保存・伝達することで文化(外部情報系)が生成され、その発展・維持にアドレッサンスはなくてはならない時間となったはずです。
ちなみに、最も劣化の少ない記録メディアは壁面に書き付けた記録のようです。
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