言葉について
まず、あまりに美しい写真を一枚ご紹介させて頂きます。
ここからどうぞ
”色彩のメロディ~妖精に会える場所 終章~イェイツ” エストリルのクリスマスローズ より
ここにダイレクトに貼ってしまうと、そぐわないので、こういう形にしました。
”Low”という絵画・写真・音楽ブログで最近、写真についてひとこと書いていますが、写真は力のあるものは違いますね。
ことばが同じことばのように見えてまったく力が違うように。
次元が違います。
写真も。
そう、わたしの言いたいことは、まさにそこです!
次元が異なる。
隔絶しているということ。
この先、何万年が過ぎようとその溝は全く埋まらない。
埋まる溝などもともとなく、単に次元が異なるのであるから。
水平に移動しているものと、垂直に直行するものとはいかなるもの(意味)の共有もありえない。
日々垂れ流されて行く、くだらないことばの羅列。
悍ましい限り。
見たくないのだが、数が多すぎてつい目に入ってしまう。
そこになんでこんなに人が集まっているのかとまた驚く。
類は友を呼ぶのだから仕方ない。
しかし世界はことごとく言葉で出来ている。
これでは単なるゴミ溜めの量産だ。
特にわたしが許しがたいのは、なにやら感動の名言染みたフレーズで語尾を揃え、口当たりよく並び立てて垂れ流しているサイト。
内容は実にくだらないの一言!
例えば、「本を読むと、知識が増える 節約をすると、残高が増える ポジティブ思考だと、笑顔が増える 相手を大切にすると、仲間が増える ~省略~ 色んな努力をしてそれが報われると、自信が増える これ、人間力の増やし方。」(省略は同様のことがつらつら述べられているだけなので。)
これをありがたがるセンスがまずもって信じ難い。
暗澹たる気分になる。
まずここに思考の一片でも見出せるか?!
本を読むと、知識が増えるのか?おたくは、知識とやらを増やしてクイズ番組に出て大金でもせしめるつもりなのか?
何に使う知識だ?
そうか、生活に役立てるハウツーを増やそうということか?
取扱説明書を読もう程度のことをいちいち得意げに標語めいたものにするな。
本を読むことは、私にとっては生まれてしまったがために不可避的に纏ってしまった言葉の数々をすべて相対化して洗い清める行に似ている。身体を身軽にするための、魂を浄化するための精神運動を活性化するための行為である。
それ以外の「本を読む」などありえない。
わたしは取扱説明書を読む程度のことを「本を読む」とは呼ばない。(まさか字面通り取説と取っていないよな)
節約をすると、残高が増える。笑える。草野心平風に語尾を揃えてリズミカルに行きたいのね。
気持ちは分かるよ。増える、で連想できるものを機械的に次々に加えていく。
そう、ここに一片の思考も含まれてはいない。
自堕落なことばの垂れ流しが始まる。わたしの殺意が高まる!
ポジティブ思考だと、笑顔が増える。ポジティブ思考って何?そもそも、思考なの?ここが全く分かっていない!
思考は、思考でしかない!思考は純粋に中立したそれ自体の運動であって、そこにはいかなる形容や主格があってはならない。
そうでないと、思考にならない。
思考している時にそもそも、「わたし」はいない。消滅している。
おたくが指しているのは、気分だろ。しかしこれはウヤムヤには出来ないな!
相手を大切にすると、仲間が増える。よかったね。お仲間を大切にしてください。
同じ言葉を持つ者は、同じ現実を見る。
それで完結する。
世界は鏡である。
色んな努力をしてそれが報われると、自信が増える。ここで思わず吹き出してしまった。
随分自信家なんだな。人にこういうことをぬけぬけと言えるんだから。
さぞ、努力を重ね大変な自信をつけてきた人なんでしょうね。
わたしは努力で何かをしたことが一度もないから、確かに自信はない。が、確信はある。それも絶大な!
これ、人間力の増やし方。呆れてものも言えない。が、一応言っておく。
何が人間力だ!バカも休み休み言え!
人間は単なる前提に過ぎない。
いかに人間を脱却するかに生きる価値が生まれる!
以上。
本当の言葉があるところに本当の安らぎがあります。
美しい写真も生まれ、絵もそうです。勿論、音楽も。
しかし状況は悪化の一途を辿っています。

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”色彩のメロディ~妖精に会える場所 終章~イェイツ” エストリルのクリスマスローズ より
ここにダイレクトに貼ってしまうと、そぐわないので、こういう形にしました。
”Low”という絵画・写真・音楽ブログで最近、写真についてひとこと書いていますが、写真は力のあるものは違いますね。
ことばが同じことばのように見えてまったく力が違うように。
次元が違います。
写真も。
そう、わたしの言いたいことは、まさにそこです!
次元が異なる。
隔絶しているということ。
この先、何万年が過ぎようとその溝は全く埋まらない。
埋まる溝などもともとなく、単に次元が異なるのであるから。
水平に移動しているものと、垂直に直行するものとはいかなるもの(意味)の共有もありえない。
日々垂れ流されて行く、くだらないことばの羅列。
悍ましい限り。
見たくないのだが、数が多すぎてつい目に入ってしまう。
そこになんでこんなに人が集まっているのかとまた驚く。
類は友を呼ぶのだから仕方ない。
しかし世界はことごとく言葉で出来ている。
これでは単なるゴミ溜めの量産だ。
特にわたしが許しがたいのは、なにやら感動の名言染みたフレーズで語尾を揃え、口当たりよく並び立てて垂れ流しているサイト。
内容は実にくだらないの一言!
例えば、「本を読むと、知識が増える 節約をすると、残高が増える ポジティブ思考だと、笑顔が増える 相手を大切にすると、仲間が増える ~省略~ 色んな努力をしてそれが報われると、自信が増える これ、人間力の増やし方。」(省略は同様のことがつらつら述べられているだけなので。)
これをありがたがるセンスがまずもって信じ難い。
暗澹たる気分になる。
まずここに思考の一片でも見出せるか?!
本を読むと、知識が増えるのか?おたくは、知識とやらを増やしてクイズ番組に出て大金でもせしめるつもりなのか?
何に使う知識だ?
そうか、生活に役立てるハウツーを増やそうということか?
取扱説明書を読もう程度のことをいちいち得意げに標語めいたものにするな。
本を読むことは、私にとっては生まれてしまったがために不可避的に纏ってしまった言葉の数々をすべて相対化して洗い清める行に似ている。身体を身軽にするための、魂を浄化するための精神運動を活性化するための行為である。
それ以外の「本を読む」などありえない。
わたしは取扱説明書を読む程度のことを「本を読む」とは呼ばない。(まさか字面通り取説と取っていないよな)
節約をすると、残高が増える。笑える。草野心平風に語尾を揃えてリズミカルに行きたいのね。
気持ちは分かるよ。増える、で連想できるものを機械的に次々に加えていく。
そう、ここに一片の思考も含まれてはいない。
自堕落なことばの垂れ流しが始まる。わたしの殺意が高まる!
ポジティブ思考だと、笑顔が増える。ポジティブ思考って何?そもそも、思考なの?ここが全く分かっていない!
思考は、思考でしかない!思考は純粋に中立したそれ自体の運動であって、そこにはいかなる形容や主格があってはならない。
そうでないと、思考にならない。
思考している時にそもそも、「わたし」はいない。消滅している。
おたくが指しているのは、気分だろ。しかしこれはウヤムヤには出来ないな!
相手を大切にすると、仲間が増える。よかったね。お仲間を大切にしてください。
同じ言葉を持つ者は、同じ現実を見る。
それで完結する。
世界は鏡である。
色んな努力をしてそれが報われると、自信が増える。ここで思わず吹き出してしまった。
随分自信家なんだな。人にこういうことをぬけぬけと言えるんだから。
さぞ、努力を重ね大変な自信をつけてきた人なんでしょうね。
わたしは努力で何かをしたことが一度もないから、確かに自信はない。が、確信はある。それも絶大な!
これ、人間力の増やし方。呆れてものも言えない。が、一応言っておく。
何が人間力だ!バカも休み休み言え!
人間は単なる前提に過ぎない。
いかに人間を脱却するかに生きる価値が生まれる!
以上。
本当の言葉があるところに本当の安らぎがあります。
美しい写真も生まれ、絵もそうです。勿論、音楽も。
しかし状況は悪化の一途を辿っています。

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