最初の人間

LE PREMIER HOMME
2011
フランス・イタリア・アルジェリア
ジャンニ・アメリオ 監督・脚本
アルベール・カミュ 原作
ジャック・ガンブラン(少年時代:ジャン・ブノワ)、、、ジャック・コルムリ(作家)
カトリーヌ・ソラ(若い頃:マヤ・サンサ)、、、カトリーヌ・ソラ(母)
ドニ・ポダリデス、、、ベルナール(担任)
ウラ・ボーゲ
ニコラ・ジロー
ニノ・ジグレット
アブデルカリム・ベンハウンチャ
ジャン=ポール・ボネール
ジャン=フランソワ・ステヴナン、、、農夫
カミュ未完の遺作の自伝的小説の映画。とても内省的で静謐な流れ。
初老の著名な作家が父の墓を訪れ彼が25で戦死したことを知り愕然とするところから始まる。
少年期の回想に浸ったかと思うといつの間にか現在に切り替わっているこの辺の錯綜は、如何にも心象風景の映像化であった。
(特に少年ジャックがドナのノブに手をかけ部屋に入ると現在の初老の彼が歩き出すところなどハッとした)。

フランス領アルジェリアという場所は何であるのか、父のこと、自分がどのようにして生まれたのかルーツを洗い直そうとしたカミユ自身を描く。愛する故郷にあって、彼は何故これほどまでに非難を受けるのか、、、。
原理原則の闘いに及ぶと、自分たちに身贔屓しない者は敵となる。
(この辺ではサルトルは上手く立ち回ったと思う)。
「異邦人」からほぼ年代順に読んだ覚えがあるが、最初に読んだ「異邦人」の印象がまだ一番残っている。
(一頃、カフカの「変身」とカミユの「異邦人」はどちらも枕元にあった文庫本だ)。
確か母は耳が不自由だったはず。あったかなあこの映画に。この点と父の不在がカミユにとりとても大きかった。
極貧であり、母はとても控え目な文盲。子供のように幼い叔父と家の主としての祖母。
息子は頭脳明晰の目立つ子で、母はいつも物静かに一歩引いて愛情深く彼を見つめていた。しかし実権は祖母が握る。
幸い先生が大変熱心に彼の将来を心配してくれ、学業の支援をしてくれた。彼は実質父の替わりでもある。
「神を信じるも、神を信じないも好きにしなさい。」理想的な父だ。
あの傲慢で意固地な祖母がいなければもっと楽に生きられたであろうが。
(少年が肉のお使いで金を読み物の為にちょろまかしたときのおどろおどろしい神への懺悔~告白には寒気がする)。

「いつか被害者と殺人者だけの国になる。無実なのは死んだ者だけ。」というフランス領アルジェリアの現状。
その傾向はますます酷くなってゆく。街中での突然の爆音に驚いて降りて行くと、無残に破壊されたバスと黒こげの死体が。
カミユ自身の生地でありアイデンティティの基盤である。
母はずっとそこを動かずひっそりと暮らしている。
彼女は、その地を離れるつもりはないと言う。パリでは暮らせないと。
何故ならそこにはアラブ人がいないから。
しかし母は息子には諭す「頭のいい子の義務は、この街から出て行くことよ。」
カミユ自身、自分はアラブ人という認識がある。
しかし彼らがテロを続けるなら、彼らの敵になる覚悟であった。
幼馴染のアラブ人の息子が証拠も不十分なまま疑いをかけられ断頭台で処刑されてしまう。
時の人であるジャックは奔走し大臣に掛け合う。大統領も動かした。しかし肝心の当人が再捜査を拒絶したのだ。
彼はラジオの講演で最後の結びに言う。「私は正義を信じる。アラブ人よ、私が君たちを守ろう。母を敵としない限りは。もし母を傷つけたら私は君たちの敵だ」彼の最終的な意志表明か。
カミユはある時期からこの対立抗争問題にはほとんど触れなくなったはず。

カミユの小説にあからさまにはなくても(異邦人にはあからさまにあるが)常に背景輻射としてあるものは、「太陽」と「海」である。
極貧のなかで過ごした少年時代の恩寵とも謂える要素~環境であろう。
太陽の光と海の飛沫を浴びサッカーに興じる少年時代。
これが彼の苦痛をかなりの面で浄化したはず。
こんな地であれば、「フランス人とアラブ人との共存」だって出来るものだと自然に思えたのではないか。
この感覚は分かる。わたしも人間環境は最悪であったが、幼い頃の綺麗な川と木々は今でも想い起すことが出来る。
そこには負の要素はまるでなく、爽やかな摂理しか存在しない。
ここには女性関係は描かれていないが、原作はどうだったかその辺は想い起せない。
「アルベール・カミュ」という文字通りの自伝映画では、嫌という程女性関係ばかりが取沙汰されていた。
この映画にはうんざりして感想書く気にもならなかった(これを観て暫く映画を観るのをやめようと思った)。
実際、奥さんは鬱症状に悩み(カミユ共々)大変苦しんだようだ。
息子が講演中、会場が危険な程に酷く荒れたことが新聞一面に出ていた。
大きく写されている息子の写真を見て”JACQUES CORMERY”と、字の書けぬ老いた母が一文字一文字ぎこちなく書き写す場面には胸が締め付けられた。
(ある意味、此の親にして此の子あり、である)。

最後のシーンは、どういう事態であったのか。
あのさっぱりした白い部屋で、母の諦観をも思わせる面持ち。
もしや、息子はもういないのか、、、カミユの予言、、、ではないか
大変気になる終わり方であった。
後で思い出したが、「最初の人間」は途中までで読み終わっていなかった。
もう随分と昔のことだ。読むとしたら勿論、最初から読むしかない。
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