シン・エヴァンゲリオン劇場版

EVANGELION:3.0+1.0 THRICE UPON A TIME
2021
庵野秀明、、、総監督・脚本・原案
鶴巻和哉、、、監督
中山勝一、、、監督
前田真宏、、、監督
鷺巣詩郎、、、音楽
宇多田ヒカル「One Last Kiss」、「Beautiful World (Da Capo Version)」主題歌
緒方恵美、、、碇シンジ
林原めぐみ、、、アヤナミレイ
宮村優子、、、式波・アスカ・ラングレー
坂本真綾、、、真希波・マリ・イラストリアス
三石琴乃、、、葛城ミサト
山口由里子、、、赤木リツコ
石田彰、、、渚カヲル
立木文彦、、、碇ゲンドウ
清川元夢、、、冬月コウゾウ
山寺宏一、、、加持リョウジ
神木隆之介、、、碇シンジ(ラストシーン)
それにしても巨大なコンテンツの締めくくりであった。

「これまでの全てのカオスにけりをつけます!」
前半から後半への急展開が強烈だった。
内省から覚醒へ。
L結界に入ってからの戦闘のクオリティには目を見張る。
シュールな戦いだ。既視感は無い。
色彩共々インパクトは充分。

そしてこの戦いが独自の視点で興味深いのは、ある目的を遂げようとする行動に対しそれに伴う思わぬ付随する副作用(副次的エネルギー)によって飛んでもない災厄を呼ぶという構造である。
問題を未然に防ごうという決断~行為が災厄を引き起こすトリガーとなるケースは実にリアリティを感じるところ。
碇シンジが苦しみ悶え、ドラマの生まれる装置として機能する。
書き換え後の世界~ネオンジェネシス~は、「君の名は。」のラストみたいで、清々しい。
世界をそのまま受け容れようと、真っ直ぐ前を見て、真っ直ぐ手を伸ばす。
ただ。その相手が、真希波・マリ・イラストリアスというポット出のキャラというのがちょっとしっくりこない。
(常においしい立ち位置にいるなとは思っていたが)。
寧ろアスカではないのか、、、と言いたい。
アスカもカヲルもレイも他人となっていたようだ。マリとシンジしか記憶を受け継いでいないのか、、、。
いや、カヲルとレイが仲良しになってるのか、、、だが普通の学生同士の付き合いのようだ。

それにしても仮称アヤナミレイの個体が可哀そうでならない。
「涼宮ハルヒ」の長門有希とともにわたしの贔屓キャラである。
やはり環境に適応するための基本的な調整は必要なのだ。
オリジナルがどうであろうが、固有時の問題である。
あの姿にケンジは、再びエヴァに乗り父の暴走を止める決意をする。
それから土の匂いか。
ここはもっとも説得力が感じられる部分だ。
(エヴァを必要としない世界に書き換えるんだ。これこそ神の領域~このような超越性が発揮出来れば、もう何でもありだがそう出来るのならやりたいのはやまやま。こちらの意識パタンを変えれば世界も再編されるレベルはあるが、物理的変革がないとどうにもならないレベルははっきりある)。

碇ゲンドウの目的は初号機に同化していた妻ゆいとの再会であるというが、、、よく分からないところ。
人類を単一の浄化された魂だけのレベル~世界にしようとしていたはずだが、矛盾しないか。
結局、アディショナルインパクトにより世界を書き換えようとしたが、それでゆいに逢える訳でないことを悟り、全てのエヴァを処分して13号機もろとも消える。大人でもエヴァに乗れたのはネブカドネザルの鍵によって人ではなくなったためか。
しかしそもそも、他者~妻と逢いたいということと、全ての人類をLCL化して単一の魂にしてしまうこととは、全く矛盾している。
一つになったら逢うも逢わないもない。逢うとは他者の存在を前提とする。そもそも浄化って何?
それに一であり全てでありとかいう言い方~考えを振り回す輩が結構いるが、実に気持ち悪い。
個が無ければ世界などない。

終盤、それぞれの回想のなかでひどく個人的な内省が再び展開される。
大きな戦いと同期されるように、マクロとミクロの対応関係のようで緊張感あるタイミングはよいが、、、。
幼少時に形成された心的パタンに悩まされる人は少なくない。
シンジやアスカがそうだという前に、誰よりゲンドウであった。
彼が思いの外、チョロい奴だということが判明する。裸の王様とはこのことか。
シンジを恐れA.T.フィールドで防御するのは分かる。
シンジは、ここまで散々他者により鍛え上げられて生きて来た叩き上げの男である。
只管他者を拒み自我を守ってきた男がシンジに勝てるはずがない。
葛城ミサトが死をかけて生成したガイウスの槍を受け取る。

この物語によく出てくる相補性だが、当然排他的観測を前提とする。
他者とは、排他的観測そのものを指す。
ゲンドウはそれに耐えられなかった。これは科学者としてはあるまじき姿勢である。
物理を否定している。その挙句の果てに単一の魂による存在の要請など戯言に等しい。
ピアノもカヲルみたいに連弾で愉しむ発想もなかったのね。
シンジなら排他的自我の間に調和を見出して行けるはず。

今回、アスカもレイと同類の戦闘員であったことが分かる。綾波に対し式波シリーズである。
初期ロットはちゃんと動いてるか?と仮称レイを気遣っていたが、彼女は初めから調整済みであったのか。
父から引き継いだアディショナルインパクト進行中の演出は流石だ。
あの赤い海辺でシンジの座っている情景が、絵コンテそのままになっていたり、終わり間際のレイとの秘めやかな対話の場所が撮影スタジオそのままになっている状況は、今まさに世界が書き換わってゆくところを粋に表現しているのが分かる。
その後には、記憶には全く残っていない大事な会話であり場所である。
(こんな場所が自分にもあったような幻想を抱く)。
宇多田ヒカル「One Last Kiss」、「Beautiful World (Da Capo Version)」の主題歌は、まさに宇多田節であった。
また、車で聴きたい。
AmazonPrimeにて
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